中日教育つなぐ、「知日」人材育成に全力―魯林 信男教育学園理事長

日本華僑報    2020年4月30日(木) 13時30分

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教育に汗する信男教育学園理事長で、新華僑教育家の魯林氏が東京出張の機会に記者の取材に応じてくれた。

「立派な人物のもとには人々が自然に慕い集まる」。桃や李の花が芳しいこの季節、彩雲が空一面に映える午前。終日、教育に汗する信男教育学園理事長で、新華僑教育家の魯林氏が東京出張の機会に記者の取材に応じてくれた。(聞き手は人民日報海外版日本月刊編集長・蒋豊)

中日が協力し、「全人教育」で人材を育成

魯林は九州大学大学院の私の後輩に当たる。我々は知り合って久しいが、会える機会はあまりない。信男教育学園の理事長を務める彼は、常に多忙である。彼と話ができるのは、彼が学校視察に赴く道中か、学生あるいは大学の学長に会いに出かける時である。私が、彼の肩に背負った少し傷んだリュックサックを叩きながら、いつになったら休憩できるの?と笑いながらきくと、彼は真剣な面持ちで、「毎年この時期になると、親元を離れて見知らぬ日本にやって来たばかりの高校生たちが、文化や生活習慣の違いに直面している。彼らの先輩として、学校の創立者として、彼らを健康で無事に成長させなければならないという重い責任をいつも感じている」と話した。

「全人教育」とは、彼がこれまで追求してきた教育理念である。日本へ渡ってより三十二年、「ウミガメ」は祖国に戻って創業し、中日両国を行き来して事業の開拓に奔走する「カモメ」となった。教育に従事して25年。彼は早くに自らの教育理念を確立し、実践を通して調整と更新を繰り返してきた。魯林は言う。中国の教育水準は絶えず向上しており、採り入れるべき点が多い。信男教育学園が追求するのは知識の教授だけでなく、生徒がもつ諸資質を全面的に育成する「全人教育」である。

(片山和之・元駐上海日本総領事(右)と魯林)

2010年、魯林の教育理念は上海の有名教育機関である七宝教育集団の高い評価を得て、多元文化を尊び全体人間教育を奨励するというコンセンサスのもとに提携を結び、上海文来高校日本留学課程が設立された。同課程は中国国内で唯一、中国政府が認可した高校教育の日本課程である。生徒への教育は中国国内で日本と同時進行のスクールカレンダーに準じて行い、日本への修学旅行などの活動を通じて日本語で考える能力を養い、日本文化への理解を深める。同時に、中国の高校生が日本の高校教育に円滑に順応できるよう、信男教育学園では数学、理科、化学の教科書はすべて日本の高校のものを使用し、授業もすべて日本から招いた教師が行う。中国国内で2年間の高校教育を受けた後、生徒たちは信男教育学園が提携した日本の16の姉妹校で1年半の高校生活を送る。

魯林は、教科書による知識や語学の学習は確かに必要であるが、この年代における人格形成教育はさらに重要であると考えている。それが、生徒が有用な人材に成長できるか否かの鍵となる。また、心が敏感な思春期でもあり、様々な素質を育むには最後ともいえる重要な期間である。在学中、如何に滞りなく課題をクリアし、あらゆる手法で「全人教育」を徹底していくかが肝要となる。魯林は言う。「ここ二十年、日本は毎年ノーベル賞受賞者を輩出しています。日本の教育には学ぶべき点があるということです。論語読みの論語知らずや、試験のために試験を受ける人間ばかりを養成していたのではだめです。この年代は、周囲の事物や世界に対する興味、人文・教養に大きな影響を与える時期でもあります。日本の教育システムにおいては、小学校から大学まで、日々のクラブ活動が浸透しており、学生生活の三分の一の時間を占めています。クラブ活動を通じて、健全な心身や忍耐力を養い、練習や競技を通して抑制や寛容を学ぶのです」。


全体人間を育成し、「全人教育」の理念を実現するため、信男教育学園は中国人生徒の特性に応じて、日本のクラブ活動に手を加えて導入し、生徒の興味のあるものから始め、彼らが課外活動やクラブ活動を通して総合的能力を培っていけるよう導いている。サッカーも良し、コーラスも良し、バレーボールも良しである。団体にはルールが必要である。自分たちで決めよう! 試合に出場するにはユニフォームが必要だ。どんなデザインにする? どこで作る? 費用、見積もりは? 練習や試合で怪我をした時のために救急箱が必要だ。中に何を準備すれば? どこで買う? 等々。時間厳守や礼儀礼節、毎日の着替え、クラブ活動終了時の挨拶……。魯林は生徒たちにすべてやらせた。彼らはそれらに適応、実践する中で学校生活を充実させ、知らず知らずのうちに自立心や自己計画能力が培うと同時に、人としての総合力を高めることができる。安直を良しとする現今の社会にあって、魯林は確かな教育理念を堅持し、忍耐強く行動している。決して簡単なことではない。

魯林は具体的な例として、こんな話をしてくれた。日本の幼い子どもたちが薄いショートパンツ姿で雪の積もった冷たい地面の上を走っているのを見るたびに驚いたという。彼らは激しいサッカーの練習を終えてくたくたに疲れた状態で、慣例に従い整列して脱帽、お辞儀をする。まず、練習の機会を与えてくれた保護者に向かって感謝を表し、次にコーチに向かってお礼の挨拶をするのだ。その姿にさらに心を打たれたのだという。目の前の光景は、日本の子どもたちにとっては特別なことではない。中国の教育にはこの点が欠けていると痛感し、魯林は意図的に信男教育学園の日常教育に、感謝の心を育む教育とオールラウンドな教育を組み入れた。

信男教育学園は優秀な中国人生徒を日本の高校や社会に送り続け、次第に影響力をもつようになっていった。二年前には、国立九州大学初の「グローバル人材育成海外協力拠点」となった。毎年、多くの中国の優秀な卒業生が「信男教育」の橋を渡って、日本の有名大学に進学している。旧帝国大学の流れを汲む、九州大学、北海道大学 、熊本大学、東京学芸大学。私立では、両雄の慶應義塾大学、早稲田大学や上智大学、青山学院大学、中央大学、同志社大学、立命館大学、立教大学。理系トップレベルの東京理科大学及び女子大学の最優秀校の一つ津田塾大学等々である。

「信男教育学園」出身の方寅越さんは、日本の柳川高校に入学すると、教員・生徒から、学業、集団生活ともに優秀と認められ、圧倒的得票数で生徒会長に選出された。彼女は当校の80年の歴史において初の外国籍の生徒会長となった。2017年、信男教育学園の三期生卒業生である富馨怡さんは、傑出した成績により、日本全国でただ一人の100万円の奨学金の獲得者となった。さらに、同時に二つの国立大学に合格した何甦恩さんは、行いも学業も優れているとして、佐賀県知事特別表彰を受賞した。近年、日本語が中国国内の大学入試科目に加わり、中日文化交流及び教育の大きな推進力になることは間違いない。情報化時代は目覚ましく進み、AI技術が高速エンジンとなっている。信男教育学園はこのチャンスを逸することなく、早稲田大学などの著名な教育機関とインテリジェント日本語教材を共同開発を始めている。これは国内教材の改革範例となるだろう。

(佐賀県知事特別表彰を受賞した何甦恩(左)と魯林)

▼優秀な人材の育成には、地位も生命も惜しまない

「九層の台も累土より起こる」。信男教育学園を創設する前に、魯林は日本の有名大学で11年間働いた経験をもち、日本の教育史の変遷や発展状況を熟知している。彼が国際部で生き生きと仕事をしていた頃、日本の著名な楽器会社の社長が本部長のポストにやってきた。彼は日本人の傲岸不遜な態度で周囲の中国人に何かと難癖を付けてきた。一度、机を叩きながら魯林に話しをしたこともあったという。これは一例であるが、日本人の中には今も中国人に偏見を抱く過激分子がいる。日本の大学にもまだ、このように外国人を敵視するような風潮があり、魯林は心を痛めた。彼はこの上司を学長の前に呼び出し、話の途中で机をひっくり返した。

机を叩いたりひっくり返したりのやり合いの末に、一人の新華僑教育家が誕生するとは誰も予想しなかっただろう。魯林は憤怒して辞職した。転身して学校を創立し、多くの中国人が活躍の舞台を広げ、夢を実現する手助けをしている。一つの職業に就き、全力で仕事に打ち込む魯林は、東邦音楽大学でいくつもの「最優秀」を生み出した。今、世界にその名が知れ渡り、人気を博しているテナー歌手の石倚潔は彼が見出し、東邦音楽大学に送り込んだのである。

それは紆余曲折の感動的な物語である。20年前、東邦音楽大学で国際部長の任にあった魯林は、上海で初めて、秀麗で痩身の石倚潔に出会った時、彼の内に秘めた想像を絶するエネルギーに気付くとともに、彼の歌唱に対する愛と執着に心打たれた。数十年に一人の逸材と確信し、日本に連れて帰り、東邦音楽大学で学ばせたいと思った。ところが、当時の石倚潔は東邦音楽大学から差し出された“オリーブの枝”を疑いの目で見ていた。彼の記憶の中では、日本に対する認識は歴史の教科書で留まっていたのだろう。

一方で、声楽や芸術方面の大学は一般の総合大学よりも学費が高く、留学期間の生活費も考えると、大きな経済的負担がのしかかる。彼の両親も日本の国情についてはよく知らず、なかなか決断が下せないでいた。入学の期限が間近に迫り、魯林は両親に最後のお願いをした。「最悪の場合、私がうそつき呼ばわりされても構いません。お子さんを日本に送り出して、どうなるか見てみてください。合わないと思ったらいつでも戻って来られます。彼の留学に必要な費用はすべて私が出します」。石倚潔の両親は心を打たれた。そこまで我が子のことを思ってくれる教師に突き動かされ、東邦音楽大学を信じてみようと思った。

日本に出発するまでに、日本語を学ぶ必要がある。魯林はこの一家が日本留学の高額な学費を支払わなければならないことを知っていたので、日本語課程の学費は彼が捻出した。そして、成長期の少年の自尊心を傷つけないために、この半年間の日本語課程の学費は東邦音楽大学から贈られたものだと話した。それだけでなく、日本社会に溶け込むために必要な礼儀も教えた。平たく言えば、国際社会でどう振る舞うかである。

四年間の課程を修了し、石倚潔は首席で東邦音楽大学を卒業した。魯林は逸材をこのまま埋もらせてはならないと、直接、東邦音楽大学の三室戸東光理事長にかけあい、大学が全額奨学金を支給し、彼をウィーンの修士課程に進ませることを提案した。理事長は彼の提案を受け入れ、大学が毎年2000万円を出資し、石倚潔を欧州留学に送り出すことになったのである。

果たして、石倚潔は見事に期待に応え、より広大な天地で成長を遂げた。欧洲に渡って一年後、四つの国際声楽コンクールで金賞を受賞し、世界各国の歌劇場において最も多く主役として歌う華人となった。それは、魯林が東邦音楽大学で11年間、学生のため、大学のために心を尽くし、責任を果たしてきたことの完璧なる証となった。

(日本への留学を決心した石倚潔(左)と魯林)

▼取材後記

取材を終えて、空一面を覆う祥雲寺の桜の彩雲の中で、次の目的地に急ぐ魯林を見送った。この数年、彼は、日本は沖縄から北海道まで、中国は揚子江上流から深圳・大鵬湾までを駆け巡ってきた。そして、中日両国の大地には次から次へと新しい学校や姉妹校が根を張り、芽吹き、花を付けている。2020年9月、上海と深圳にキャンパスが相次いで開校し、長沙と南昌では信男教育学園分校が生徒を募集し開校に向け動いている。今後5年間で、祖国の大地に10の分校が誕生する。

今回の魯林との語らいで、深く印象に残った言葉がある。「日本には中国を熟知する多くの中国学の研究者がいます。真の中日友好のためには、中国にも知日人材がもっと必要です。これは今後の中日関係を考えたときに極めて重要な問題です」。新華僑教育家の先見性と卓見をひとしおに感じた。そして、「社会と国家の根本は人であり、人の根本となるものは教養である」との言葉は、彼の並大抵ではない苦心の末の結論であると感じた。信男教育学園が、国際的視野を持った優秀な人材をより多く輩出し、中国の知日人材養成の重要拠点となり、中日のハイエンド人材養成の重鎮となることを心から願うものである。(提供/人民日報海外版日本月刊)

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