黄 文葦 2020年8月24日(月) 14時40分
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「コロナ禍」、最近ネットとマスコミでよく見かける言葉。多くの方がすでに無意識にこの言葉を使われていると思う。この「禍」という言葉に違和感を覚えた。写真は横浜中華街。
「コロナ禍」、最近ネットとマスコミでよく見かける言葉。多くの方がすでに無意識にこの言葉を使われていると思う。この「禍」という言葉に違和感を覚えた。最初、「禍」の読み方すらわからなかった。調べてみたら、「か」と読む。わざわいを意味する言葉である。
「コロナ禍」という表現には感情が入りすぎているのではないか。自然災害の多い日本では、ウイルスに対し、ほかの国よりもっと凛とした姿勢で臨むべきではないか。中国語には「禍害」という言葉がある。人間社会の災いを形容することが多く、災いをもたらす人と事を指す。例えば、中国の「文化大革命」は確かに国家の「禍」である。
ただ、今回の新型コロナを「禍」と視すると、感染した人は被害者なのに、ウイルスと一緒に「敵」と見なされてしまう恐れがあるのではないか。コロナに感染した有名人や所属団体から相次ぐ「謝罪」に対しても違和感を禁じ得ない。感染者には罪がないし、ウイルスにも罪がない。
新型コロナ感染拡大の中、「コロナ禍」という言葉によって、感染者にさらなる精神的なプレッシャーを与えてしまったのではないかと感じる。中国では、感染者の苗字、年齢、性別、おおよその家と職場の住所、移動に使った乗り物などが政府広報メディアに公開されている。皆が感染者のいた場所に恐怖を抱き、極力避けようとする。ウイルスと感染者を「禍」「害」と扱うと、社会の分断が起きやすい。
「コロナ禍」より、むしろ「コロナ化」のほうがずっとふさわしいと言わざるを得ない。世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は7月31日、新型コロナの世界的大流行は「100年に一度の公衆衛生上の危機だ。影響は今後数十年に及ぶ」と警告した。さらに、テドロス氏は「抗体検査の初期段階の結果は、世界人口の大半がウイルスに感染しやすいことを示している」として、集団免疫獲得には程遠い現状を伝えた。
今年の春、「夏になったら、収束するだろう」と思われていた新型コロナが、夏にますます感染拡大の模様をみせている。未知のウイルスなので、これからどうやって「コロナ化」に向き合うのか、考えなければいけない。「未知の新型ウイルスとの共存」を前提にした新しい生活様式と新しい価値観を築くことが現代人の急務である。映画監督の北野武さんは先日、マスコミに「『陽性』前提に生きる」と語った。私たちは今、すでに「日常」と「危機」、「陰性」と「陽性」の間を徘徊しているかもしれない。
過去30年、日本は「平凡な平成時代」を過ごし、中国は改革開放・高速経済成長を果たした。いずれもおおよその平和な時間を過ごした。人類の歴史は繁栄な盛世と騒動などの絶えない乱世を繰り返す。百年人生、ずっと平和であることは不可能だろう。乱世に適応する心の準備も必要であるかもしれない。
「コロナ化する社会」「コロナのグローバル化」になりつつある。私たちのこれからの人生はずっと「禍」を背負うわけではなく、自然災害に面するように、勇気と知恵を絞り出したい。
■筆者プロフィール:黄 文葦
在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黄文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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