<コラム>終戦に思う、宝塚聖天に戦没者を慰霊するための実物大「ゼロ戦」レプリカがある

工藤 和直    2020年7月31日(金) 21時20分

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兵庫県宝塚市支多々川上流の宝塚聖天墓地に、全国陸海空戦没者を慰霊する大光明殿がある。そして大光明殿の上にはゼロ戦の実物大レプリカが乗っている。

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兵庫県宝塚市支多々川上流の宝塚聖天(しょうてん)墓地に、全国陸海空戦没者を慰霊する大光明殿がある。そして大光明殿の上にはゼロ戦の実物大レプリカが乗っている(写真1)。宝塚聖天は1919年(大正8年)にできた比較的新しいお寺だ。正しくは東寺真言宗宝塚聖天七宝山了徳密寺院といい、地元では「宝塚の聖天さん」と呼ばれている(宝梅3丁目4-48、阪急バス宝梅中学校前下車)。1995年(平成7年)1月の阪神淡路大震災によって本堂以下ほとんどの建物が壊滅状態となったが、檀家の協力で4年後の1999年(平成11)には復興を終えた。

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このゼロ戦模型は1978年(昭和53年)の8月全国の陸海軍戦没者250万の英霊を祀るために設置されたもので、ゼロ戦の下にある大光明殿には木彫りの観音像を中心に、戦時中の写真や位牌が並んでいる。筆者が訪れた時には残念ながら扉が閉まっていたが、お彼岸・お盆の時には中を見学できるようだ。

入り口の掲示板に特攻兵士たちの遺書、また家族から特攻隊に宛てた手紙が貼ってある。二十歳前後の方が大半、非常に達筆な字で、死に逝く人間が短い言葉で父母への感謝、小さい子供の将来への憂えを書き、本当に涙で字が翳み、胸がつぶれるような思いがする。特攻戦死者は、最初の特攻隊指揮官の関行男大尉以下、海軍2531名・陸軍1417名、合計3948名にのぼる。生みの親といわれる大西瀧治郎中将は終戦の翌朝(8月16日)に割腹自殺、介錯を拒み半日悶えた上の壮絶な最後であった(写真2)。

航空機による特攻作戦に対し、多くの方の多くの意見があり、それをどうのこうの言う資格は少なくても戦後生まれの筆者にない。ただ言えるのは、この多くの若者の犠牲があったので、戦後75年を経て日本国民は他国を侵略することなく、他国民並びに自国民を戦争によって傷つけることがなかった。

■筆者プロフィール:工藤 和直 1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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