如月隼人 2020年11月13日(金) 23時20分
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日本に一時滞在したモンゴル人のD先生が、コンビニでちょっとした“騒ぎ”を起こしたという話の後半です。写真は内モンゴル自治区。
日本に一時滞在していた内モンゴル人のD先生が、コンビニでちょっとした“騒ぎ”を起こしたという話の続きです。
D先生は、同じく内モンゴル人留学生のA君のアパートに泊まっていた。A君が深夜、アルバイトからの帰りにコンビニに寄ったらD先生がいて、その前で店員さんが困っている。店員さんはA君に「何かトラブルに巻き込まれたらしい」と言った。D先生は「自分はバターを買いたかっただけ」と説明した。
言葉が通じないD先生はバターを買おうと思って、ジェスチャーで【A】牛がいて、【B】その乳をしぼって、【C】パンに塗るもの――と、表現した。これが誤解されたということです。
D先生は「【A】牛がいて」の部分では、軽く両手のこぶしをつくって人さし指だけ立てて、自分の頭の上の左右に置いた。これで、「角が生えている牛」を表現したつもり。まあこれは、モンゴル人ならかなりの確率で牛と想像できるジェスチャーです。少なくとも、角がある動物であることは察する。
次の「【B】乳をしぼって」では、両手で牛の乳房をつかんで乳搾りをする仕草。モンゴル人に確認したのですけど、「都会育ちの若いモンゴル人だったら分からないかもしれない」とのことでした。でも、内モンゴルで演じられる新作の民族舞踊では、踊り子さんが腰を落として両手で牛の乳を搾る仕草をしたりしますからね。【A】の部分で牛を示して、両手でなにかをつかんで絞り出すような仕草をしたら、ここまでで「牛乳のことかな」と分かるモンゴル人は多いんじゃないかな。
最後の「【C】パンに塗るもの」では、食パンに見立てが左手のてのひらを上に向けた。右手はバターナイフのつもりで、左手の“食パン”の表面に、左右に動かして何度も塗るしぐさ。バターナイフに見立てた右手を右から左向きに動かす時には、右の手のひらを左の手のひらをこすりつけるように、逆に動かす場合には右手の指の爪側で、左手の手のひらをこすったそうです。
さて、コンビニの店員さんは、どのように解釈したのか。
「【A】牛がいて」の部分を、「だれかが怒った」と思った。頭の上の左右に両手の人差し指を立てて、それを「鬼の角」に見立てて「人の怒り」をあらわすのは、日本人特有のしぐさですから、外国人がそんなジェスチャーをするわけがない。でもなあ、この場合に店員さんを責めるのは酷だ。
「【B】乳をしぼって」の仕草は、怒った人に首を絞められたか、胸ぐらをつかまれたと思った。日本人にこの動作を「乳しぼりだと理解せよ」という方が、無理だ。
ここまでくれば、「この人はトラブルに巻き込まれた」との先入観がありますから、次の「【C】パンに塗る」の部分でも、その延長線上で解釈することになる。店員さんは「何度も顔をひっぱたかれた」と理解したそうです。
いやあ、民族によって簡単なしぐさでも、ぜんぜん違った受け止め方があるのですね。まるで落語の「こんにゃく問答」。幸いにして、日本語が達者なA君があらわれたので、ことなきを得たというわけです。
ついでながら、D先生がバターということを伝えるために「パンに塗る」仕草をしたのですが、伝統食としてのバターの使い方としては、お茶に入れたりご飯にまぶしたりします。
モンゴル人が常飲するのはミルク茶の一種です。モンゴル語では「スー・テイ・チャイ」と言います。でも、日本人も知っている紅茶を使ったミルクティーの場合とは相当に違う。まず、レンガのような形に突き固めた茶葉を使います。北の大地の内モンゴルで茶の木は育ちませんから、湖南省あたりで生産された茶葉を使うことが多いようです。その茶葉の塊の一部を適量削って、お湯に入れて煮出します。ある程度、時間をかけます。渋くて渋くて、そのままではちょっと飲めないようなお茶ですが、ミルクを入れると、とたんに味がまろやかになるから不思議です。さらに塩を振ることも多い。そして、好みでバターを浮かべます。お茶というより、ちょっとスープみたいな感じです。
「茶にバターを入れる」といえば、チベットの「バター茶」が比較的知られていますが、モンゴル人の方法とは違います。
チベット人の場合、同じような茶葉を使い、煮出してからミルクを入れバターを入れるところまでは同じですが、その次には茶全体をしっかりと撹拌してバターを細かな粒子にします。モンゴル人の場合には、ミルク茶にバターを浮かべます。お茶は熱いので、バターは溶けて表面に広がります。
バターをご飯にのせて食べる場合には、砂糖も加えてかき回したりします。日本人にとってはほとんど「ありえない」食べ方ですが、彼らにとっては「ふるさとの味」です。特に、純粋な遊牧が最近まで続いた地方の出身者が好む食べ方のようです。
モンゴル人が「お米」をよく食べるようになったのは、歴史的に見ればごく最近のことです。それまで穀物といえば、キビの1種が一般的でした。いったんふかしてから炒って水分を完全に飛ばします。日持ちしますし、再加熱しなくても食べられる。香ばしくて、ポリポリした食感です。モンゴル語では「ボダー」、中国語では「炒米(チャオミー)」。モンゴル語の「ボダー」は、を含めて穀物一般あるいは一部の方言では食べ物全般を指す場合もあります。
モンゴル人にとって、この「ボダー」に砂糖やバター、乳酸発酵したバタークリームを入れて混ぜたものがご馳走でした。これは美味しい。乳製品の風味と砂糖の甘味が口の中に広がります。「ボダー」は香ばしく、しかもポリポリとかみ砕く食感も心地よいものです。お米にバターと砂糖を混ぜるモンゴル人の食べ方は、この「ボダー」の食べ方が影響しているみたいです。
■筆者プロフィール:如月隼人
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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