<日中100人 生の声>一水相隔、詩短情長 遠い故郷への思い―林俏陽 経営者

和華    2022年4月6日(水) 21時20分

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2020年旧暦の5月4日に祖母がこの世を去った。写真は子供の頃の筆者、祖母と一緒に。

2020年旧暦の5月4日に祖母がこの世を去った。コロナのためすぐに帰郷する航空券も買えず、さらに現地での14日間の隔離期間もあり、祖母の最期を看取るにはどうしても間に合わなかった。現在も家に帰ることは叶わず、線香の一つもあげられていない。祖母が亡くなった3日間は涙が止まらず、この出来事は私の永遠の傷となった。

「孝行したいときに親はなし」という。これからは天上と地上に隔たれてしまった。過去は煙のように過ぎ去り、思いは静かに流れゆく。祖母と過ごした日々を思えば断腸の思いだ。この寂寞とした思いは生涯忘れられないものになるだろう。

去る2019年、蓮の花が満開の頃に、祖母に会いに故郷に帰った。そのときは衰えて骨のように痩せた祖母の足を私のももに乗せて按摩してあげた。しかし、それから1年もしないうちに、冷たくなった祖母の頬に触れることさえ永遠に叶わない願いとなってしまった。耳に残る祖母の呼びかけは、無言の絶唱となって粉々の悲しみに砕け散った。

その年の1週間の滞在は瞬く間に終わり、私が故郷を発つ日の早朝、祖母は杖をついて玄関口まで見送ってくれた。骨と皮ばかりの姿が早朝の風に吹かれて震え、涙が深く刻まれた皺の間を流れていった。手を振り続ける祖母を車窓から見たのが、とうとう最後となった。 

故郷の鮮やかな赤レンガの家には、棟の両端がつばめの尾に似ているものもある。これは「つばめが巣に帰る」ということから意味をとり、家を出て生活している子供が戻ってくるという願いを込めているのだ。しかし、海に隔てられている私は、つばめのように大切な家族の最期に立ち会うこともできなかった。

歳月の移ろいの中で、どれだけ忘れられない出会いと別れを繰り返し、どれだけやるせない悲しみから立ち直るまでを過ごしただろうか。

2020年、私と同じように帰ることができず、親戚を訪ねることもできなかった人々は、永遠に消すことのできない痛みを残した。私たち華僑華人はこの悲しみを力に換えて、家族の安否を心配する気持ちを、寄付を募って防疫物資を買い故郷に送るひとつひとつの活動に注ぎこんだのだった。

一粒一粒の砂は小さくても、無数の砂が集まれば大きな力になる。私の故郷である南安市が日本の南安同郷会から最初の海外支援物資を受け取ると、泉州、福州、武漢なども相次いで日本の泉州商会から13回に渡り防疫物資を受け取った。空にある月は何千年もの間まるく輝いているが、私の思いは遥か遠くまで連れて帰ってくれたことがあっただろうか。故郷である泉州に13回目に送られた箱には、詩句が書かれており、中には私が書いた「温陵草木、刺桐游子、東瀛回望、丝路情長」というものもあった。泉州はかつて「温陵」、「刺桐城」と呼ばれ、その一草一木が故郷を離れているものに切ない思いを抱かせたという。我々は今、東瀛(日本)にありながら、いつも遠い故郷を思い出している。この望郷の念はシルクロードのように長く、夢の中の故郷のレンガを赤々と染める。

在日泉州商会が故郷へ送ったマスク

物資の不足が厳しい状況にあったため、在日華僑華人は「同根連枝、守望相助(同じ根を持つ枝は、共に助け合う)」という精神の元、互助活動を展開した。日本の泉州商会は、日本に住む同郷者たちに向けて、会員の寄付による防疫物資と私が書いた「臨海眺望、一水天長、盼爾返郷、絲路留芳」(海辺で遠くを眺めると、水と空の景色は広々としている。君が故郷に帰れることを願う)という詩を詰めた大量の感染予防キットを送った。

在日泉州商会の会員が空港で防疫物資を送った

故郷の街角にはたくさんの思い出や物語が溢れており、故郷に戻った彼らが語らうのを楽しみにしているだろう。レンガの一つ一つに刻まれた出来事も、彼らが帰郷して思い出に浸るのを心待ちにしているだろう。私も心より、同胞たちが無事に故郷の家へと帰り着く日が来ることを願っている。

2021年7月25日には、私たちの故郷が世界遺産に認められ「泉州・宋元中国の海洋商業貿易センター」が世界遺産に登録されることとなった。輝かしい世界文明にまた一つ輝きを放つ珠玉が加わったことがとても喜ばしい。宋元の時代から渡ってきた仙女は、月明かりをぼやかし、泉州の街に赤い壁と瓦を描き、秋の美しい景色を残した。天后묵の海神、媽祖は昼夜に渡って守り、同胞たちの帰郷を加護してくれる。宝盖山の姑嫂塔もまた、大海で代々華僑の帰郷を導くという約束を固く守り続けている。月の満ち欠けははかなくも美しい。花は咲いて枯れ、悲しみを待ち続けている。私たちはいつになったら、またあの場所に帰り、夢にまで見た赤レンガの壁に、再び触れることができるのだろう?

月日の流れは振り返ることができ、静かな季節の移り変わりが訪れる時には深く、去る時には長く情を呼び起こすのを見る。疲れ切った心はただただ穏やかな故郷を渇望し、さすらう魂は故郷のやすらかな香りに思いを馳せる。私たちは幾度故郷を思っただろうか。月の光は水のようにさらさらと流れ、夢のような月日を通り抜ける。その深い思いは優しい心に刻まれる。

故郷の福建・泉州

※本記事は、『和華』第31号「日中100人 生の声」から転載したものです。また掲載内容は発刊当時のものとなります。

■筆者プロフィール:林俏陽(りんしょうよう)


日本の泉州商会副会長、南安同郷会理事、日中詩詞協会理事。福建省南安市出身。1999年に日本に留学し、長年東京で働く。近年は散文や詩歌を中日両国の雑誌、新聞などのメディアに発表している。現在小売業会社の経営者。

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