戦争孤児153人の里親・杉良太郎に勲章=ベトナム大使館『貢献30周年感謝の会』の心温まる手作り感

アジアの窓    2022年4月16日(土) 7時30分

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駐日ベトナム大使館で開かれた『杉良太郎 ベトナム貢献30周年感謝の会 労働勲章』の授与式に、俳優歌手の杉良太郎が出席したのは2019年10月30日でした。

駐日ベトナム大使館で開かれた『杉良太郎 ベトナム貢献30周年感謝の会 労働勲章』の授与式に、俳優歌手の杉良太郎が出席したのは2019年10月30日でした。

ベトナム政府が長年にわたりベトナムのたくさんの子供たちの里親になるなどの杉良の支援活動に感謝の意を表したのでした。もう3年前の話ですので何でいまさらと思われる方もいるかもしれませんが、当時も今も取り上げられていない角度からご紹介したいと思います。

結論から言いますと、この表彰式、実は連合町内会の表彰式のようなものなんですね。お断りしておきますと、町内会だと言って何か軽く見ているとか貶めてるとかヤユ嘲笑と言うことではなく、反対に地に足のついた手作り骨太感覚の心あたたまる表彰式であったということなのです。

手書き作成の図を参照していただければと思います。


公共ポイントだけをまず紹介しますと、

<i>ベトナム大使館

<a>小田急線代々木八幡駅(右斜め上方向新宿へ)

<b>千代田線代々木公園駅出入口(右斜めヨコ方向表参道へ)

<h>代々木八幡宮

<g>渋谷区立富谷小学校

<e>山手通り

<f>井の頭通り(水道道路)

<c>代々木公園

<j> 「富ヶ谷」地区を表しています

なお矢印は登り坂を意味します。「富ヶ谷」というだけあって各所に坂道がいっぱい。

ある朝、何気なく、テレビを見ていましたら、普段着スタイルの杉良太郎が近所の子供達とお遊びしている。その場所は代々木八幡とか富ヶ谷とか代々木公園とかになっていました。杉良太郎は伍代夏子さんと結婚しておりまして、伍代さんの実家は鮮魚店でしたが、水道道路(井の頭通り)拡幅に伴い 鮮魚店は立ち退きになっております。

杉良太郎が普段着姿で自宅近くといって富ヶ谷地区の子供たちと遊んでいるわけですから、杉良太郎と伍代夏子夫妻もこの界隈に住んでいるというふうに推察されます。

つまりベトナム大使館<i>と同じ地域社会なんですね。山手通りを使えば歩いても行ける。同一地域社会、連合町内会みたいなものとご理解いただけると思います。

ネットによると表彰式には伍代夏子さんも参加されていたということですから、ますます町内会っぽくなってきます。伍代夏子さんは生まれも育ちも富ヶ谷で、鮮魚店が生んだ歌姫としては美空ひばりに続くと言ってもいいでしょう。他にそういう女性歌手がいらっしゃったら失礼します。

1989年、45歳の杉がベトナムを初めて訪れ、チャリティーコンサートをした時、ベトナム直行便がなかったので、中継地点のタイの百貨店でチョコレートやキャンディをたくさん買い込んでベトナムの病院や孤児院で子供たちにそれを渡したのです。でも、中に、チョコレートよりお父さんお母さんがほしいという子がいた。そこで杉良太郎、翻然と悟るものがありました。里親になろう。最初は30人ぐらいだったのが今では、今では5倍に増えて152人(ネットより)。明らかにベトナム戦争の後遺症ですよね。まったく頭が下がりますね。

蛇足ながらこの1989年の杉良太郎ベトナム訪問は、私、知っているのです。当時私は毎日新聞「週刊エコノミスト」誌の編集デスクをしておりまして、編集長より杉良太郎がベトナムで慈善活動を手がけるとのことだ、これは本気です、なんとか貴誌で取り上げてもらえませんかとの依頼が杉良サポートグループからあった、取り上げてもいいのではないか、ということで、その週の「エコノミスト」に杉良、ベトナムで慈善活動に力を入れるといった2ページほどの記事を載せたのでした。ちょうどこの1989年でした。編集している私も半信半疑で、誠に失礼ながらいつまで続くのかしらねって、頭をよぎってなかったとは申しません。しかし、それから30年余、超人的な持久力と言うしかありません。 あの時わずかながらでも協力しておいて、よかった!

授与式には、両国首脳より祝辞のメッセージが届けられます。我が国のほうは安倍晋三内閣総理大臣であります。

ネットより引用しますと、「杉さんの長年にわたる日本とベトナムの友好親善、両国の相互理解の促進への貢献は、極めて大きなものです。これはあなたにしかできなかった偉大な功績です。あらためて杉さんのご尽力とご貢献に心から感謝いたします」。

首相在任中、官邸にはほとんど居住しなかった安倍晋三さんですが、自宅近くの代々木公園<c>を一緒に住んでいる母親の安倍洋子さんと散歩するといった記事はよく見かけます。

安倍晋三首相はいわばこの連合町内会の特別名誉顧問みたいなものでして、首相の祝辞でもあるけれども、<j>一帯の名誉顧問の祝辞でもある。この日のベトナム大使館、ほとんど「富ヶ谷」「代々木八幡」地区内表彰式みたいなものだったという私の紹介もご理解いただけるのではないかと思います。

杉良太郎・伍代夏子夫妻、今後とも内外でのボランティア活動をよろしくお願いいたします。また、「SR(杉良太郎)会」に集うおばさま方、私たち、社会貢献なのよ、と意を強くして、大いに杉良を盛り上げていただければと思います。

■著者プロフィール:高谷尚志「アジアの窓」編集委員

1946年中国・大連生まれ。早稲田大理工学部工業経営学科卒。毎日新聞入社、静岡支局、経済部記者、「週刊エコノミスト」編集長などを歴任。2004年千葉科学大学危機管理学部危機管理システム学科教授。2015年4月よりフリー。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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