中国で生まれ日本でも発達した盆栽にはそれぞれのよさがある―日本の「名人」が語った

中国新聞社    2023年1月7日(土) 11時0分

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盆栽の世界で異彩を放つ小林国雄氏が盆栽についての思いを語った。写真は中国浙江省を訪問して盆栽を巡って大いに交流した小林氏。2019年撮影。

1976年より盆栽作家への道を歩み始めた小林国雄氏は、日本盆栽作風展で「内閣総理大臣賞」を4回受賞、皐樹展で「皐樹展大賞」を6回受賞するなど、盆栽の世界で異彩を放つ「名人」だ。また海外での盆栽普及や交流にも極めて積極的に取り組んでいる。小林氏はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材を受けて、盆栽とは何かを語り、盆栽づくりに寄せる思いを語った。以下は小林氏へのインタビュー記事をもとに再構成した記事だ。なお、本稿は中国語記事に基づいて日本語化したために、小林氏の原話と言葉遣いなどが必ずしも一致しないことを、お断りしておく。

■日本の盆栽は、中国由来の“精神の遺伝子”を濃厚に受け継いでいる

盆栽芸術は中国で誕生し、唐代(618-907年)に日本に入ってきた。その後、日本人特有の美的感覚と繊細な感情と融合して、日本の盆栽技術が形成された。日本には、歴史の長い中国から伝来して、日本人による「現地化」で完成した文化が多い。茶文化もそうだし盆栽文化もそうだ。

盆栽の魅力は、実物は小さいが大きなものをあらわしていることだ。「方寸の内に天下が存在」することを示し、また、職人の美的情緒と融合し、職人の自然観や世界観を反映して、創作者の感情が託される芸術表現だ。まずは植物を鉢に移して根付かせ、余った部分を刈り取ることで、作り手の中の理想的で美しい姿に成長させていく。植物は季節の移ろいを経て、花を咲かせ、実をつけ、落葉する。人はその過程を通じて、時の流れと輪廻(りんね)を感じることができる。

盆栽は中国の道教の影響を強く受けている。特に「気」と「不老不死」の概念だ。職人は盆栽を育てながら自然に親しみ、身を修め、自らを自然と一体化させ、最終的には「天人合一」の境地に達する。他の芸術形式と違って、盆栽は「生きている」芸術だ。樹齢が500年や1000年にもなる種類の木もある。人生は100年にすぎないのに、数百年を経ても生き続けている植物たちの姿に、「不老不死」の「気」を感じることができるのも、盆栽芸術の魅力だ。

盆栽のもう一つの特徴は、地位に関係なく、誰でも楽しめることだ。昔から今まで、身分が高かったり裕福だった人でも、一般庶民でも、盆栽を楽しむことができた。すなわち、植物が成長することがもたらしてくれる楽しみだ。1000万円の盆栽でも、1000円の盆栽でも、その楽しさは共通しているはずだ。

■若い人に盆栽に触れてほしい、「他人を思いやる心」を養えるからだ

鉢植えには適切な水と光と温度が必要だ。いずれも欠かすことができない。同時に、感情を込めねばならない。すべてを注いだはずなのに枯れてしまったら、どこに問題があったのかを反省せねばならない。残念ながら、私が手掛けて枯れさせてしまった盆栽も少なくない。私の単純な欲望を満たしそうとして失敗したことも、もっと完璧にしたいと思って枯らしてしまったこともある。病気にしてしまったこともある。枯れさせてしまった理由がはっきりわからない場合もあった。この仕事を初めて50年近くになるが、学ぶべきことはまだまだ多い。

また、若い人に盆栽に触れてもらいたい。盆栽を通して命を感じ、精神的な成長を促すことをお勧めする。愛情と思いやりを注がなければ、盆栽は枯れてしまう。若者は盆栽を育てることで、他人を思いやることを学ぶことができる。同時に、盆栽を育てることで心身ともに喜ぶことができ、癒され、精神的な満足を得ることができる。盆栽では1本の木が成長するのに10年から20年かかるので、盆栽には若いころから触れたほうがよいと言われている。

私はさまざまな人との付き合いの中で絶えず学び、反省し、変化を求めてきた。最初は、いろいろな賞をもらうことを目的に形のいい盆栽を作った。しかし、外面的な美しさを追求しすぎていないかと、少しずつ疑問を持つようになった。時の経過と共に、私は、命の美しさや内面の美しさをあわわす盆栽を作ることを追求するようになった。私は盆栽づくりから成長を得て、それを後世に残していきたいと考えている。

中国浙江省を訪問して盆栽を巡って大いに交流した小林氏。2019年撮影

■盆栽を通しての国際交流はオリンピックとは一味違う

20年前の中国訪問は、私の創作スタイルが変化する重要なきっかけになった。日本では盆栽を「三角形」で構成することが定番だが、中国の盆栽は生命の躍動感に満ちていた。私は「過去の成功を捨て、世の中に新たな価値を見いだす」という信念を胸に抱き、2015年には日本で高く評価される真柏の盆栽「清風」に手を加え始めた。平面レイアウトを構成し直し、枝や幹の曲線美を表現することにした。私は今でも、自分の盆栽人生に満足していない。生命力ある盆栽芸術は永遠に発展途上だ。これからも盆栽創作の「個性・調和・味わい」を追求し、盆栽芸術に精進していきたいと思っている。

日本と中国の違いを言えば、日本の文化は「縮小」や簡素化を重視する。能楽の大家である世阿弥の「風姿花伝」には、「秘すれば花」と言う言葉がある。すべてをさらけ出さず、想像をかきたてる余韻や余白を大切にすることだ。盆栽芸術は日本に伝わった後、禅宗思想の影響を受け、さらに「もののあわれ」、「閑寂」、「幽玄」などの多くの特徴を持つようになった。日本人には繊細で思慮深く、感受性が鋭いところがあるのかもしれない。今、多くの中国の盆栽作家が日本の盆栽を参考にしたいと思っているのも、まさにこの部分だ。

しかし、日本の盆栽は三角形の形状の追及に熱心で、造形面でややとらわれてしまった面がある。中国は国土が広いためか、盆栽も「大陸国家」の雰囲気を帯びている。中国では比較的大型の盆栽が好まれ、そのスタイルは伸びやかだ。盆栽芸術の初心は自然を再現することであり、盆栽を見ただけで風を感じ、雨を感じ、雪を感じることができる。人による造形の美しさだけではなく、自然の洗練や緊張を感じることができる。盆栽を完璧な形にしすぎると、美しい盆栽ということで賞を受けたりして高値がつきやすいのだが、どこか趣に欠けるような気がする。盆栽はあくまでも生きているのであって、単なる工芸品ではない。中国の盆栽は躍動感がより強く、はつらつとした力がある。

盆栽芸術の交流では、さまざまな形式の交流会を開催することがよいと思う。私はこれまでに世界の30以上の国と地域を訪れ、交流会に200回以上も参加してきた。中国にも何度も行ったことがある。交流会では盆栽愛好家らが一堂に会し、創作技術や美の趣向、精神面の考え方などについて語り合うことができる。皆が盆栽の友であり、オリンピックのような勝負の場ではない。共通の目標のために一緒に努力することは大切なことであり、皆が志を同じくすることは、とても楽しいものだ。(構成/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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