<日本人の忘れられない中国>上海で隔離、私の心のつかえをじわっと溶かしたおじさんの言葉

日本僑報社    2023年1月28日(土) 13時0分

拡大

上海市民一斉隔離。全世界で報道されたこの話題の当事者にあたる私が、皆さんに伝えます。写真は上海。

上海市民一斉隔離。全世界で報道されたこの話題の当事者にあたる私が、皆さんに伝えます。この経験が私に与えた影響は、いつもの五十日間では得られなかったものです。

隔離前、完全アウトドアの私の週末の定番は、上海の街並みを見ながら食べ歩きすることでした。当時上海は陽性者がほぼゼロ人の日々が続いていたので、その安心感から歩き回って歩き回って、上海の全てを知り尽くした気分でした。笑い声と活気に満ちた街を見て、コロナの完全な収束はひょっとしたら、すぐそこなのではという期待すら抱いていました。「人生何が起こるかわからない」この言葉は全員に該当しますね。どの国のどの人にも該当するのです。

通達は突然来ました。同時に、事態が悪化し通勤できなくなることを恐れた父が、上海を離れました。静かな家で一人、ざわつく私の胸。その嫌な予感は当たり、そこから一日経つと一週間隔離期間が延びていく毎日が始まります。当初予定されていた五日間の隔離は、十倍以上の日数となりました。“期待しない、深く考えない”、毎日を乗り切るための方法としては限界があります。「日本各地がゴールデンウイークを満喫する人々で溢れかえっています!」そんな歓声がテレビから聞こえると、私の忍耐心は悲鳴を上げているようで、精神的にかなり限界がきていることを感じました。

不安とストレスに覆われ真っ暗な毎日の中で光となったのは、隣人と家族。マンションチャットに一日何百件も送られてくる応援メッセージや、有り余るほどの差し入れと普段より充実した冷蔵庫は、まさに団結力を表していました。「まだ家に食べ物はある?」「何か困ったことがあれば、直ぐ言うんだよ」管理人のおじさんにそう話しかけられた時、私の心のつかえは確かに、じわっと溶けました。あの時「没事,謝謝(大丈夫です、ありがとう)」としか言えなかったことを、今も悔やんでいます。この隔離が明けたら、防護服を脱いだおじさんに、もう一度お礼を伝えに行きたいです。「誰か助けてくれる、誰か見ていてくれる」という確信は、今まで感じたことがない心強さです。上海人の新しい一面を見て、上海には親切な人がたくさんいることを知って、不自由で苦しい思いをしているけれど、上海を嫌いにはなれないと思いました。

そして、私の一番の心の支えはやはり家族の応援でした。両親だけでなく、祖父母やいとこも定期的にテレビ電話をかけてきてくれます。「人は一人では生きていけない」、それは精神面での事も指すのではないでしょうか。この隔離期間に家事が大変だと涙したことは一度もありませんが、寂しくて不安で涙したことは何度もあります。こんなに日本が恋しくなったのは初めてでした。この恋しさは、外に出ることができない不自由からではなく、隔離が終わって、またいつもの日常が戻ってくる想像ができない怖さから来ていたのだろうと思います。でもそんな時、なぜか必ず彼らから連絡が来るんです。「何もしてあげられないけど……」と申し訳なさそうに呟く私の家族は、私にどれだけのことをしてくれたのか知りません。誰にも会えない毎日でも、自分を気に掛けてくれる人がいる有難さを、身にしみて感じました。

上海に復活の光が見え始めた今、私は家で一人、毎日色々なことを考えます。その中で私なりに辿り着いた結論と、今の思いを語ります。まず結論としては、“受け入れるしかない現実を受け入れる”とは、その現実の中で自分にとっての収穫を見つけること、もしくはその現実を自分にとっての栄養に変えることです。“期待しない、深く考えない”、それでは時間が過ぎるのをただ待つことしかできず、受け入れるという点では遠く及びません。

私は隔離生活を通して成長しました。 例えば、隔離前は洗濯機の回し方もわからなかった私が、今では服によって洗濯コースを使い分けます。一日も欠かさず三食自炊して料理の腕も上がり、立派な主婦になった気分です。きっと父が帰ってきたら驚くと思います。それよりも成長した部分は、精神面です。隔離生活の中で隣人と家族の温もりに触れ、人はなぜ他人の助けがないと生きられないのかを知りました。見えないところで自分を支えてくれる人がいることに、気づいていきたいと思いました。そんなことを考えていると、不思議と心に余裕が生まれ、すっと胸が軽くなるのです。だから、目の前が真っ暗になってネガティブな感情が溢れそうになった時は、そうして自分を落ち着かせています。泣くことしかできなかった私が、自分の感情をコントロール出来るようになったことは、いつもの五十日間では得られなかったはずの成長だと感じます。

この小さな家の中で、経験を重ね、感情と向き合い、私は大きく花開いています。

■原題:私は隔離生活を通して成長しました

■執筆者プロフィール:中ノ瀬 幸(なかのせ みゆき) 高校生

2年半インドネシアの幼稚園に通い、その後は中学2年生まで熊本の学校に通う。2019年の春、中学3年生で上海日本人学校に転入。コロナの影響で2020年2月から11月まで熊本に一時帰国、初めての授業からオンライン授業だった。2020年12月、念願の登校をし教室で授業を受けるも、今年月またオンライン授業の日々を経験することになった。


※本文は、第5回忘れられない中国滞在エピソード「驚きの連続だった中国滞在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

第5回忘れられない中国滞在エピソード「驚きの連続だった中国滞在」受賞作品集はコチラ!
http://duan.jp/item/328.html

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携