凌星光 2023年4月29日(土) 16時0分
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コラム「人生90年の足跡―体験で語る日本と中国―」第6回は「厳しい政治運動に耐える」。
6.厳しい政治運動に耐える
大学2年生の時に、胡風反革命集団に対する批判が展開され、各大学に奥深く潜んでいる反革命分子を暴き出せという運動が展開されました。提示された批判材料の中に、胡風氏と友人の日記や手紙があったのにはびっくりしました(これ以来、多くのインテリは心中を語る日記を書かなくなったのではないかと思う)。また、高崗反党集団事件もショッキングなことでした。1957年には反右派闘争が展開され、上海出身のクラスメートが右派とされました。大学を卒業し仕事に就いたばかりの1959年には、反右翼日和見主義の闘争、整風運動が展開されました。
これら政治運動は私にとって衝撃的なものでしたが、追いついていこうという一心で理解するよう努力しました。後に、左寄りで間違いだったと認識するようになりましたが、当時はそのような認識、疑問はほとんど持ちませんでした。自分は資本主義の日本で育ち、資本家出身であり、「階級的烙印」をいかに克服するかと一生懸命でした。それと同時に、日本との通信は災いを招く可能性があると感じ、大学2年生の時から日本の家族以外との通信は全て断つことにしました。これが幸いして、文革中にあまり追及されることはありませんでした。
1959年の整風運動では、私自身の「名誉地位」思想、日本で形成された著名な進歩学者になろうとする人生観を徹底的に自己批判しました。この整風運動では、周囲からの厳しい批判の中、行き過ぎた自己批判を行った人もいます。後になって、ファイルに納められた自己批判書は撤回してもよいという通達が来ました。私は不本意でつづったものではないので、撤回する必要はありませんと答えました。
これらの政治運動は確かに反省すべき点がありましたが、私にとってはプラス面が多々ありました。例えば、私は生涯名誉や地位に心を惑わされることはありませんでしたが、それはこの時期の学習によるところが大きかったです。
■筆者プロフィール:凌星光
1933年生まれ、福井県立大学名誉教授。1952年一橋大学経済学部、1953年上海財経学院(現大学)国民経済計画学部、1971年河北大学外国語学部教師、1978年中国社会科学院世界経済政治研究所、1990年金沢大学経済学部、1992年福井県立大学経済学部教授などを歴任。
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