日本の街角で見た「受け入れがたい光景」=だが、日本ではこれが「当たり前」なのだ―中国ネットユーザー

Record China    2014年7月18日(金) 5時40分

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13日、ブラジルW杯が閉幕。今大会では日本人のごみ拾いが世界のメディアで報じられ、話題になった。そんななか、日本を訪れた中国人がつづった文章がネット上に掲載された。写真は日本の子ども。

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2014年7月13日、ブラジルで開催されていたサッカーのワールドカップ(W杯)が幕を閉じた。今大会では、日本のサポーターの試合後のごみ拾いが世界中のメディアで取り上げられ、話題になった。

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そんななか、日本を訪れた中国人が、自分が目にしたある光景から日本の教育についてつづった文章が掲載された。以下はその内容。

日本の街角で、2〜3歳の子が手にかばんを持っているのを見た。そばにいる親は、代わりに持ってやろうとはしない。中国の父兄にとって、これは受け入れがたいことだろう。しかし、日本ではこれが当たり前なのである。日本の幼稚園の入園式には、子どものかばんを持つ保護者の姿はなく、あるのは両手にいっぱいの荷物を抱えた園児たちの姿だ。

聞いた話では、日本では子どもが幼稚園に入園するとき、母親はいくつかの布袋を準備するそうだ。本を入れるものや、タオルを入れるもの、お弁当を入れるもの、着替えを入れるものなどさまざまだ。これを使って、幼稚園や父兄は子どもに整理整頓を教える。小さいときから、物事の段取りをしっかりと教え込むことで、一生の習慣を養っているのだ。

日本人に教育における先見の明があるかどうかはわからない。居住環境に限りがある小さな島国で生活しているため、このような収納の習慣が養成されたのかもしれないが定かではない。しかし、もしこのような整理整頓をいとわない習慣がなければ、世界で称賛される清潔さやごみの分別は成し得ないだろう。そしてそれは、小さいときからの教育のたまものなのだ。

教育とは、子どもの一生に対して責任を負うことであり、一国の未来に対して責任を負うことだ。違うだろうか?(翻訳・編集/北田

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