16年前、大学の恩師がなぜ私に『失楽園』を勧めたのか、その真意は未だにわからないが、同作の性描写や中年男女の不倫を私に読ませたかったわけではないことは確かだ。

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この教授は1933年生まれで、渡辺淳一氏と同い年であった。私は1993年に出身地の南京大学に入学し、マスメディアを専攻した。当時教授が私たちに教えてくれたのは『詩経』『論語』を含む古典文学であった。

彼は博学で、講義では我を忘れるほどの境地に達することもある。古典の詩を古語で朗読する際は、夏の昼下がりに寝ている学生が驚いて起きるほどの大声を発し、感情移入する。彼は読み終わるとしばらく詩が作り出す世界に浸ることもあり、一種の興奮状態になった時の彼は、目線を遠くに向けほころんだ表情を見せる。

中国の大学は日本と異なり、ほとんど全ての学生が学校の寮に住み、教師も学校の敷地内にある教師生活区で暮らす。そのため、授業以外で学生と教師が接する機会はとても多い。私はよく同級生が教授は朝のとても早い時間に学校の運動場でジョギングをしていると聞いていたが、私は起きるのが遅かったため直接見たことはなかった。私がよく目にしたのは、夕暮れ時に息子を自転車に乗せ、学校の食堂でおかずを買う姿だった

◆教授が抱いていた寂寥感

当時教授はすでに61歳だったが、子供はまだ小学校に通っていた。そのことがとても印象的だった。私も南京出身だったこともあり、教授にはある種の親近感を抱いていた。大学2年生の時、教授は彼の子供の勉強を見るよう私に頼んだ。勉強を見るというよりは、私に子供が何を考えているか理解させようとした、という方が正確だろう。なぜなら、教授の息子は当時中学校に上がったばかりで、ちょうど思春期にさしかかり、かつてよく言うことを聞いていた素直な子供が、突然両親に目に見えて反抗するようになったのだ。

教授自身も、もし息子と足並みを揃えることができなければ、お互いの衝突が起きやすくなることを知っていた。教授も、どのように子供に接するべきか、すごく気を配り、上から目線で子供をしつけたりしかったりすることはせず、親の身分をかなぐり捨て、子供と友達同士のように、腹を割って心の中を語り合ったりと、子供に両親との距離を感じさせないようにしていたが、その効果はいまひとつだった。

その後、私は度々勉強を指導するという名目で教授の息子と交流を図り、時には彼を運動場に連れて行きボール遊びをした。次第に私は息子と仲良くなり、彼は父親のぺこぺこ媚びへつらうような態度が最も受け入れ難いということまで打ち明けてくれた。明らかに理解していないであろうことに対しても、あたかも興味があるかのように装い、積極的に息子とその友達に関わろうとすることが、彼にとっては最も我慢ならないことだと。その後、私はこのことを教授に伝えたが、教授は少し意外に思ったようだった。

私はこの親子間の行き違いに対して、なんらかの役に立つことができたのかは分からなかったが、教授の家庭状況についてはある程度理解することができた。教授の奥さんは教授よりかなり年下で、中学の教師であった。私はほとんど彼女に出くわすことはなかったし、教授もあまり多くは語りたくなさそうだった。ただ「妻は麻雀が好きだ」と言っただけだった。

◆政治的混乱に巻き込まれた知識人

教授は若い頃、北京大学の文学研究所で勉学に励み、大学を卒業するとすぐに南京の大学で教職に就いた。24歳のとき、反右派闘争が起き、政治的混乱の渦に巻き込まれた。1957年の秋から、中国全土で40万から70万人もの知識人が政治運動の中でその職位を失い、彼らは農村や工場に強制的に送り込まれ、労働を強いられた。教授も他の大勢がそうであったように、全くわけのわからないまま右派分子とされ、そうしてその後23年にわたり、人民共通の敵となることが定められたのである。この悲劇は1980年に全てが完全に終わるまで続き、毛沢東の逝去後、文化大革命がようやく終わりを告げると、政府はだんだんと彼らに自由を与えるようになった。しかし、この時生存者はわずかに十数万人だった。

47歳の彼は、大学に戻り教師となり、80年代はひたすら書を著し説を立て、その勤勉さによってものすごい速さで多くの著作を記し、普通の教師から教授へと昇任した。85年には他人の紹介で、中学校の教師と結婚し、年をとってから一子をもうけたのである。

政治運動によって長年苦しめられた彼はその後遺症で、本能的に誰とでも距離をとるようになり、政治とも距離を置いていた。文化大革命時代の不幸な境遇は、彼を1989年に起きた学生運動に関わることを極力避けさせたが、すぐ熱くなりがちな若者に自分の過去の面影を重ねた。彼は今ある落ち着いた生活を心から喜んでやまなかった。（続く）