<杭州アジア大会>伝説の恋物語『梁山泊と祝英台』の出会いの場所

CRI online    2023年10月5日(木) 16時30分

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中国浙江省杭州市の鳳凰山松嶺に位置する万松書院は1498年明の時代に建てられた書院です。写真は万村書院。

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中国浙江省杭州市の鳳凰山松嶺に位置する万松書院は1498年明の時代に建てられた書院です。万松書院は今でいう大学のような場所で、明代の儒学者王陽明や、清代の詩人袁枚などもここで学び、数百年来、全国に無数の優れた人材を輩出してきました。

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万村書院の門

また、中国で有名な伝説『梁山泊と祝英台』の舞台にもなっています。

『梁山泊と祝英台』のあらすじをご紹介しましょう。

梁山泊と祝英台

中国南部のとある良家に学問好きな祝英台という娘がいました。当時は女の学問が禁止されていたので、父親は、男装して3年間だけという条件で学ぶことを許可します。祝英台はやがて、学問を通じて梁山泊と親友になり、それは後に恋へと変わります。自分が女であることを明かせないまま、故郷へ帰る日が迫り、別れ際、自分の絵を梁山泊に渡します。祝英台が女であることに気づいた梁山泊はすぐに故郷まで会いに行きますが、すでに祝英台は名家に嫁ぐ身となっていました。悲しみのあまり梁山泊は亡くなります。婚礼の日、祝英台が梁山泊の墓の前を通ると墓石が真っ二つに割れ、祝英台はその中へ飛び込んでしまいますが、その後、2匹の蝶が寄り添うように飛んでいきました。

かつて学び舎として使われた明道堂の一つ由義齋

万村書院は梁山泊と祝英台が学問のために訪れ、出会い、恋した場所として知られているため、後に「お見合いの場所」として有名になりました。今でも週末になると親たちが設置フェンスに自分の未婚の子供のプロフィールを貼り付け、お見合いを取り付けようと奮闘しています。


『梁山泊と祝英台』は悲しく儚い恋物語ですが、万村書院は優秀な人材だけでなく、幸せなカップルも輩出しています。(提供/CRI


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