仇敵になって数百年、原因も忘れ「交流せず、通婚せず」の4村が和解―広東省

Record China    2023年11月5日(日) 17時30分

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広東省掲陽市内の4村がこのほど、数百年来の「交流せず、通婚せず」の状態に終止符を打ち、和解の儀式を行った(写真)。

広東省掲陽市内の4村がこのほど、数百年来の「交流せず、通婚せず」の状態に終止符を打ち、和解の儀式を行った。中国南部ではこのような仇敵状態の村が多く存在したが、「現代に合致しない旧弊」であるとして、和解の動きが続いている。

このほど和解したのは槎橋、美西、美東、下六の4村だ。それぞれの村の行政幹部や周囲から尊敬を集める人、年長者が代表団となって相互訪問を行い、相手の村の祠に「善隣友好」と書いた看板を贈り、「通婚せず」などのしきたりを廃止する宣言をした。地元の幹部の一人によると、「善隣友好」活動は6月ごろに始まり、10月になってようやく和解の儀式が始まった。

各村の対立が始まったのは清代(1644-1912年)、あるいはさらにさかのぼって明代(1368-1644年)とみられているが、正確な時期は不明。また、対立の原因も不明。ただし、水や農地を巡る争いが発端となり、それが宗族間の敵視になっていったと考えられている。

村と村の対立が高まった結果、「械闘(シエドウ)」と呼ばれる大乱闘が発生したこともあった。当然ながら双方に大量の負傷者、場合によっては死者が出る。どちらの村にとっても大打撃なので、「交流せず、通婚せず」の風習には、「接触を徹底的に断つことで、『械闘』などを避ける」の意味もあったとされている。


すでに若い世代では、近隣村に対する敵視は無意味との考えが強まりつつあり、少数ではあるが秘かに通婚するカップルもいたが、夫婦関係はさまざまな原因でいずれも破綻したという。武漢大学社会学院の呂徳文教授は、古い世代から受け継がれてきた習慣を守ることは「倫理」と見なされてきたが、現在の社会には必ずしも当てはめられないと指摘。また、伝統を打ち破ろうとする人も偶発的には出現するが、大きな圧力に直面すると説明した。そのため、行政が乗り出して旧弊を改めることは、大きな力になるという。

村同士の関係を正常化するに当たっては、住人の賛否が分かれた。主に若い世代、さらに中年と呼ばれる人の多くは「通婚だけでなく互いに商売もできるようになる」との考えで賛成した。反対する人は主に高齢者だった。説得に当たった村の幹部によると、高齢者は保守的で、なかなか受け入れてもらえなかった。2カ月に渡り会議を十数回繰り返して、ようやく考えを改めてもらったという。

「和解の儀式」が正式に始まる前の9月19日には、槎橋村で、同村住人の男性と、それまで通婚が認められなかった地域の女性の結婚披露宴が行われた。多くの親族や友人が出席する盛大な宴席だった。結婚した男性の母親は、「村と村の和解がなければ、周囲に知られないように、結婚はひっそりと行うはずだった」と説明した。母親によると自分の息子と相手の女性が交際を始めてから3年が経過したが「私の兄にも言えなかったのです」という。

通婚禁止や交流禁止などの「古い掟」がなくなったことで、今後は各村が協力することで地元の経済活性化に取り組むことも期待されている。

中国では近年になり、「郷風文明建設(農村部の文明的な気風づくり)」の動きが強まった。そのため近隣村の仇敵視の慣習が改められる事例も多くなった。広東省では普寧市の北山村と果隴村、揭陽市揭東区の池渡村と山美村などの和解が成立した。いずれも、村の行政幹部や有力者が主導することで実現したという。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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