<日本人の忘れられない中国>「やっぱり日本人は静かだね」…その言葉がたまらなく悔しかった

日本僑報社    2023年12月23日(土) 21時0分

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もどかしさで練習に嫌気がさしていた時、追い打ちをかけるように留学生の一人に「やっぱり日本人は静かだね」と言われました。

私は祖母が中国残留孤児で中国に所縁がある家庭に生まれました。しかし、日本で生まれ育った私はニュースで目にする情報から中国に対して怖い国というイメージを抱いていました。また、地元に住む多くの残留孤児の方々が人目も気にせず大声で中国語を使い会話する姿やゴミ収集場を漁って使えそうな物を持ち帰る姿を見て、近寄りがたい人たちだなと思っていました。

そのせいか私の中で中国人だと思われたくないという感情が芽生え、また、同級生から私が中国人だから仲良くするなと親に言われていると避けられた事をきっかけに、聞き取れないとわかっていても祖母に対して日本語を使うようになり、「外で中国語話さんとって」と両親に言うようになりました。

しかし、小学校6年生の夏休み、祖母との中国旅行をきっかけにその意識が変わっていきました。旅行では祖母が暮らした街に行き、祖母が歩んだ人生について話を聞きました。中国では周りから小鬼といじめられ、また長年中国で生活し言葉も習慣も中国に染まった状態で帰国したため周りから日本人じゃないと弾かれ悲しんだと語っていました。話を聞いて私は今までの言動を恥ずかしく思いました。

「日本語変やから大きい声で話さんとって!」と言うたびに言葉を詰まらせていた祖母の顔が思い浮かび、自分の孫にまで拒絶された祖母の気持ちを考えると胸が締め付けられました。これ以降、私は家族のルーツである中国で生活してみたい、避けてきた中国語を習得し祖母ともっと話せるようになりたいと思い中国の大学に進学することにしました。

中国留学では見る物全てが新しく、野暮ったく田舎くさいという印象は一瞬にして消え去り、電子決済やデリバリーなどの便利さを享受していきました。けれど、大学1年生の頃の学校生活は順調とは言えず授業が終わり教室を出ると日本人学生で集まる事が多く、長年中国語を拒絶してきた私は食堂の注文もスーパーでの買い物も緊張するほどでどうしても慣れ親しんだ日本語が聞こえる輪から抜け出せませんでした。

そんな自分への苛立ちと焦りを感じたまま2年生に上がった時、先生から留学生弁論大会のメンバー募集の話を聞きました。私は自分を変えるきっかけを探していたため迷わず参加しました。留学生弁論大会は中国の文化や風習がテーマに選ばれる事が多く、中国について多方面の理解が必要となります。練習には多くの留学生が参加し流暢な中国語でテーマについて話しており、ついていけない私は「どう思う?」と意見を求められても笑顔で返す事しかできなかったり、考えている間に違う話題に移っていたりと全く発言ができませんでした。

もどかしさで練習に嫌気がさしていた時、追い打ちをかけるように留学生の一人に「やっぱり日本人は静かだね」と言われました。私はその時、祖母が帰国して言葉が通じず悔しい経験をしたと語っていた話に心から共感することができました。「○○人」と一括りにされ、この国の人はこういう特徴があるからと、私のこのもどかしい状況をただその特徴に当てはめ決めつけた発言に私は腹が立ち、たまらなく悔しさがこみ上げました。

この言葉をきっかけに、私は今まで以上に先生や中国人学生にアドバイスを仰ぎ練習に力を入れました。そして、テーマである中国文化の歴史的背景や意味、現代での変容を知っていくにつれその奥深さに感心し、自分の言葉で多くの人に伝えたいと思うようになりました。

そこで、私は試合に出たいと先生に相談し大会に出るチャンスを頂きました。初試合では緊張しながらも何とか発表を終え、その後試合を重ねるにつれて私の中国語は少しずつ上達し、拙い中国語ながら自分の意見を伝えられるようになり、最終的に大会優勝を成し遂げました。この経験で私の語学力は大幅に伸び大きな自信を得ると共に、街の人々が大声で話す言葉の意味が分かるようになり、中国人の家族や友人に対する愛情深さや本音で意見をぶつけ合う様子がいつの間にか心地いいと思えてくるのでした。

留学後、私は家族との会話にも中国語を使おうと心掛けるようになり、中国の習慣に抵抗を示さないようになりました。この変化は留学を通して、中国へのイメージを自分の目で見て体験した事柄で修正していく事ができたからだと感じます。

日本と中国は「一衣帯水」と言われるほど近い関係であるためか偏見や決めつけが生まれ、まっさらな頭でその国の人を見れなくなっていると思います。ですからニュースを見てすぐに自国の考え方に当てはめその尺度で良い・悪いと判断するのは危険なことです。その国の政治的背景や文化・風習などを踏まえた上で理解しなければなりません。そして、自分の体験やその国の人たちとの交流から何度も修正をかけていく必要があるでしょう。

日中の関係を次の50年へと繋げていくために多くの人が中国に対して持つ色眼鏡を修正していく機会や交流が増えていく事を願います。

■原題:祖母が日本に帰国して二十九年、日中の関係を次の五十年へと繋げていくために

■執筆者プロフィール:岡宗 慧麗(おかむね えり)会社員

1998年高知県出身。県内の高校を卒業後、北京外国語大学に入学。留学生活では、ボランティア活動や弁論大会参加を通じて、語学の習得や現地の人々との交流に力を入れる。卒業後は地元高知県の企業に就職し、海外とのやり取りに従事するという夢に向かって、中国語学習を継続的に行っている。

※本文は、第5回忘れられない中国滞在エピソード「驚きの連続だった中国滞在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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