小島康誉氏「新疆は第二のふるさと」

人民網日本語版    2023年12月26日(火) 16時40分

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小島康誉氏はユニークな経歴を持つ僧侶だ。中国に関係するさまざまな肩書きを有しており、そこから「現代の阿倍仲麻呂」と呼ばれたこともあるほどだ。

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小島康誉氏はユニークな経歴を持つ僧侶だ。1966年に宝石会社を立ち上げ、26年にわたり会社を発展させ、161店舗を抱える上場企業にまで育てあげ、経営が一番波に乗っていた1987年に得度し、僧籍に入ったという。常に笑顔を浮かべ、一見すると温厚な普通の高齢男性にしか見えない小島氏だが、実は新疆ウイグル自治区人民政府の文化顧問やウルムチ栄誉市民、新疆大学名誉教授、清華大学客員研究員、中国歴史文化遺産保護ネットワーク理事長、ニヤ遺跡とダンダン・ウィリク遺跡における中日共同学術調査の日本側隊長など、中国に関係するさまざまな肩書きを有しており、そこから「現代の阿倍仲麻呂」と呼ばれたこともあるほどだ。人民網が伝えた。

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新疆の「目を疑うような発展」を目撃、砂漠が「希望の海」に

小島氏が初めて新疆を訪問したのは1982年のこと。当時、宝石ビジネスをしていた小島氏は、「新疆には素晴らしい宝石が出る」と聞いて、「宝探し」のために新疆を訪問した。新疆でのビジネス展開は大成功とまではいかなかったものの、その時に「新疆の世界的文化遺産を見る機会があり、それ以来引き込まれて新疆に通うようになった」という。また、「新疆の人々の気持ちが優しく、温かく、それにも引き込まれている」と語る。そこから現在に至るまで、小島氏と新疆は深い絆を築いてきた。小島氏は、「これまでに新疆を150回以上訪問し、『新疆は僕にとっての第二のふるさと』」としみじみと語る。


小島氏はこの40年間、「目を疑うような発展」を目にしてきたといい、「以前『死の海』と呼ばれていたタクラマカン砂漠は今、『希望の海』となっている。砂漠を横断する道路が3本建設されたほか、砂漠の周りを巡るように走る鉄道も建設された。新疆の都市の様子も一新し、人々の生活はどんどん豊かになっている」と話す。

中日共同調査を推進して得た多大な成果

小島氏は1986年にキジル千仏洞を訪問し、「これは人類共通の文化遺産だと直感して、協力を始めた。そして新疆文化庁から、キジル以外に、ニヤ遺跡とロウラン古城という合わせて3つの重要な遺跡があると聞いた。うち、ニヤ遺跡は規模が多く、基本的な調査はしていないということだったので、すぐに日中共同のニヤ遺跡の調査を提案し、1988年から調査を始めた」という。

その後、7年間にわたり苦労を重ねた結果、ニヤ遺跡からは1995年に有名な「五星出東方利中国」という漢代の錦織が発掘された。その成果は、「20世紀の中国考古学における最も偉大な発見」とされた。

さらに、小島氏が関与したダンダン・ウィリク遺跡の発掘調査では、「西域のモナリザ」と称される貴重な壁画が発掘された。壁画について、研究者は法隆寺の金堂旧壁画の鉄線描の源になっているのではないかと分析している。この成果もまた、長い歴史を誇る中日文化交流の裏付けとなった。


新疆で「人を育てる」ことをサポート、地元の人々から感謝

小島氏は、「人が社会を作り、国を作り、文化を作るため、人を育てることは特に大切」と考え、新疆において文化遺産共同調査を推進しながら、1986年には新疆大学に奨学金を設立した。小島氏は「当時の生活費は1カ月25元だったため、その1年分ほどの額とした。これまでに、約4500人の大学生が奨学金の支援を受けてきた」と振り返る。

また、新疆の文化発展を促進し、文化人材を育成すべく、小島氏らは1998年に「新疆文化・文物事業優秀賞」を立ち上げ、これまでに約400人に授与してきた。

このように新疆の発展に多大な貢献をしてきた小島氏は、地元で最も尊敬を集める外国人の一人となっている。小島氏によると、「ある時、タクシーでお金を払おうとすると、運転手から『あなたは小島先生ですよね。お金は要りません。妹が新疆大学の奨学金をもらっていたので、とても受け取れません』と言われた。結局、名刺にサインして運転手に渡した」という。

「若者には国際協力について考えてほしい」

新疆と交流するようになってからこれまで約40年間、小島氏は多大な貢献を果たし、中国全国人民代表大会の「環境と資源保護委員会栄誉賞」や中国文化部「文化交流貢献賞」、ウルムチ市「栄誉市民」、中国人民対外友好協会「人民友好使者」といった賞を受賞してきた。また、新疆ウイグル自治区政府は、2001年に「小島康誉氏の新疆来訪20周年記念大会」、2011年には「小島康誉氏の新疆文化文物事業開始から30周年記念座談会」を、さらに今年9月に「小島康誉氏新疆来訪40年記念講演」を開催した。

自ら書いた「五星出東方利中国」を見せる小島康誉氏

新疆を愛する小島氏は、新疆の各民族の人々を含む中国の人々が自分のことをよく理解し、高く評価してくれているとしみじみと感じている。そのような相互理解や相互尊重が、小島氏が40年にわたり、日本と新疆の交流を促進し続ける原動力となってきた。

小島氏は「世界には国が約200、民族は3000から4000ある。それぞれ文化も歴史も言語も違う。しかし、一つの国だけでは生きていけない。互いに尊重し、理解し合わなければならない。21世紀は『国際協力の世紀』と言われている。若者には『国際協力』について考えてほしい。自分もできたら『国際協力』の端っこでいいから、何かできるようにしてほしい」とした。(提供/人民網日本語版・編集/KN)

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