日本僑報社 2024年5月4日(土) 13時0分
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上野動物園が赤ちゃんパンダの名前を募集していると聞いた時、急に応募しようという気になり、上野動物園のホームページを開いた。
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パンダを初めてかわいいなと思ったのは2008年、父の駐在で北京に滞在している時のことだった。北京動物園にいる赤ちゃんパンダが、庭の中を走り回り、木によじ登ったと思ったら、うまく登れずに木から落ちて尻もちをついたり、とにかくよく動く様子に目を見張った。それまで見たことのあるパンダは皆おそらく大人のパンダで、動きがなかったので、パンダってこんなに活発に動くんだと感心した。
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2009年、高校に進学するタイミングで日本に戻り、その後パンダ熱は冷めていた。高校、大学と進学し、中国語の勉強は細々と続けていたが、パンダのことはほぼ忘れていた。しかし、転機が訪れた。2017年6月12日、上野動物園で待望の赤ちゃんパンダが誕生した。シャンシャンである。
テレビでは日々大きくなっていくシャンシャンの様子が放映された。最初はエイリアンのようだったシャンシャンがだんだんふっくらしてきて、うっすらピンク色のふわふわの毛が生え、キラキラした目が開き、口角は少し上がり微笑んでいるかのように見えた。お母さんのシンシンが大好きで甘えるような仕草や、飼育員さんにメジャーで身長を測られる様子、全てがかわいくてかわいくて、毎日のようにSNSで画像を漁った。
上野動物園が赤ちゃんパンダの名前を募集していると聞いた時、急に応募しようという気になり、上野動物園のホームページを開いた。名前と名前の由来を書く欄があり、由来の欄には「子供の頃、中国でお手伝いさんに呼ばれていた名前が香香だった。」と記入した。1歳から3歳のことなので、私自身の記憶にはなく、父や母から聞いていたエピソードだった。数ヶ月後、まさか本当に香香になると思わなかったので、名前が決まった時は嬉しいよりも驚きが大きかった。他にも名付け親となった人はたくさんいたため、名付け親だという証明は応募時のホームページのスクリーンショットしかないが、名付け親の一人と自認し、更に愛着が芽生えた。
そこから、上野動物園の年間パスポートを購入し、上野動物園に通い詰めた。世の中はシャンシャンフィーバー真っ只中で、2時間並んでも2分見られるかどうか。しかもまだ赤ちゃんなので、寝ていることや、顔が見えないこともしばしばあった。しかしそれでこそギャンブルのような中毒性があり、何度も何度も暇があれば上野動物園へ通い、列に並んだ。園内では限定のグッズを買いに行き、香香を題材に書いたOL川柳も投稿した。「持て余す母性を全てシャンシャンに」。自分の気持ちをそのまま表したような、何の捻りもない川柳だったが、世がシャンシャンフィーバーだったこともあり、なんとこれが入選し、イラストをつけたカレンダーにまでしていただいた。狂ったようなときめきと行動力、シャンシャンは私の推しであり、この行動は今で言う推し活だったと思う。
2019年、今度は自分自身の駐在で10年ぶりに中国へ戻った。3回目の中国滞在で、前回、前々回に滞在した北京でも広州でもなく、住んだことのない上海。その上、仕事で駐在ということもあり、楽しみ半分、不安半分だった。シャンシャンとは遠距離になり、見にいくこともしばらくなかった。赴任の1年後にコロナウイルスが勃発して、思うようにいかないこともたくさんあったが、上海では日本人中国人含め色んな人に出会い、公私ともに大事な仲間がたくさん増え、更に一段中国という国の存在が私にとって大きく大事な存在となった。
そして2023年、無事に4年間の上海駐在を終え、4月についに本帰国となった。2022年末まで続いた厳しいゼロコロナ政策が終わりを迎えた頃、大好きなシャンシャンが当初の予定よりかなり遅れて中国に戻ってきた。シャンシャンのいる雅安パンダ基地は、四川省の省都・成都から車で2時間ほどと行きづらい場所にある。しかし、他のどこよりも行きたい場所だったので、2023年3月末に満を持して会いに行った。
ところが、シャンシャンの繊細な性格が考慮され、予定より公開時期が1週間遅れてしまい、パンダ自体はたくさん見ることができたが、残念ながら雅安でのシャンシャンとの再会は叶わなかった。パンダ基地の職員にシャンシャンは元気かと尋ねると、彼は「日本人か?」と尋ねた後、「元気じゃなかったら公開を検討することだってしないから、元気に決まっているじゃないか。」と四川訛りの中国語で答えてくれた。
こうしてまたもや、私とシャンシャンは遠距離になってしまった。しかし、ゼロコロナ政策も終わり、日中の行き来は今までよりもずっとしやすくなった。いつかまた会いに行きたいと思う。その時はシャンシャンも中国でお母さんになって、私は彼女の子供を見ることだってあるかもしれない。
香香、5年間、暖かいときめきと熱狂をありがとう。近くにいても離れていても、大好きだよ。またどこかで会おうね。
■原題:「香香」と中国と私 ―また会える日まで
■執筆者プロフィール:髙畑 友香(たかはた ゆか)会社員 1993年千葉県生まれ。1歳になる前に父の仕事の都合で中国広州へ。3歳になる年に帰国。その後小学校3年時に再び中国広州、その後中国北京に移動し、中学3年時まで7年間中国に滞在。お茶の水女子大学文教育学部人文科学科卒業後、大手服飾資材メーカーに就職し、主に海外営業支援に従事。3年目まで都内で勤務したのち、4年目より仕事で中国上海に4年駐在。現在は帰国し、東京都内に在住。
※本文は、第6回忘れられない中国滞在エピソード「『香香(シャンシャン)』と中国と私」(段躍中編、日本僑報社、2023年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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