<天皇の素顔>英国留学時代に育まれた平和友好主義―思いやり精神にあふれる、実り多かった日々

八牧浩行    2024年6月12日(水) 7時30分

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天皇、皇后両陛下が22~29日に英国を公式訪問される。英国は天皇陛下が浩宮さま時代に留学された思い出の地でもある。

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天皇、皇后両陛下が22~29日に英国を公式訪問される。両陛下は国賓として迎えられ、歓迎式典やチャールズ国王とカミラ王妃主催の晩餐会などに出席する。両陛下の訪英は故エリザベス女王の国葬に参列した2022年9月以来。英国は天皇陛下が浩宮さま時代に留学された思い出の地でもある。

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宮内庁によると、両陛下は22日に政府専用機で出発。現地時間25日にロンドンの近衛騎兵連隊閲兵場で歓迎式典に臨み、チャールズ国王夫妻と馬車でバッキンガム宮殿入りする。王室関係者と両陛下の随員が出席する国王主催の私的な昼食会に出席した後、ロンドン中心部のウェストミンスター寺院で「無名戦士の墓」に花を手向ける。夜には国王夫妻主催の晩餐会に出席する。「水」研究をライフワークとする天皇陛下は、テムズ川にある可動式の防潮堤を視察。エリザベス女王や夫のフィリップ殿下の墓を訪れ、供花される。

筆者は浩宮さまの英オックスフォード大学留学時代に時事通信のロンドン特派員として、浩宮さまを担当。たびたび同大学に訪ねて取材したほか、英国王室との交流やヨーロッパ王族を訪ねる旅行や登山にも同行した。これらの取材はごく少人数だったため親密な話ができた。天皇の若き日の素顔とお考えを紹介したい。写真はすべて筆者撮影。

浩宮さまは1983年から1985年にかけて、オックスフォード大学マートン・カレッジに留学、テムズ川の水運史について研究された。

エディンバラ近郊の小高い山、アーサーズシート(アーサーの王座)に登られた際は、登山に得意でないカメラを担いだ記者に気遣い、「大丈夫ですか?」と時折歩を止め、カメラアングルのよい見晴らしのいい場所ではポーズまでとってくださった。

そして「(御用邸のある)那須を思い出しますね。母から手紙が来ました」と懐かしそうに語りかけられた。美智子さまをとても尊敬されているようだった。北の要塞、エディンバラ城の最上段で筆者が撮った写真は新聞や雑誌を飾った。

リヒテンシュタイン皇太子夫妻とスキー交歓


ヨーロッパの中心に位置する小さな王国リヒテンシュタインの皇太子に招かれた際も同行した。王宮の近くにはスキー場が広がっており、浩宮さまは皇太子らとスキーを楽しまれた。東京の本社からは「浩宮さまのスキー滑走姿の写真を撮るよう」指示されたが、広いゲレンデで多くのスキーヤーがいる中で、あっという間に滑り下りられ、ファインダーに捉えることができない。困り果てていると、「おーい!」と大声がかかり、ゆっくりと滑りポーズをとってくれた。優しい思いやりのお気持ちがここでも伝わった。



「イギリス人は親切ですね」と語りかけられたので、「どうして?」と訊いたら、「店で買い物をした時、初めてお金を使ったので、財布からこぼれてしまいました。そしたら店にいた客が拾ってくれました」と率直。あくまでもナイーブな好青年だった。

留学生活はすべてが新鮮のご様子。日本では旅行や山登りはもちろん、ちょっとした外出でも、警備はじめ多くの人が同行し、夥しい数のメディアが追いかけ、総勢50人以上にもなる。英国では、代表取材の通信社記者も含め総勢5人程度。英国名物パブでは侍従と警察護衛が外で待機するものの、中で楽しそうに地元民と談笑していた。

浩宮さまにとって苦手なのは、当時大流行だったJALパックなど日本人の欧州旅行。見つかると「浩宮さま!」と声がかかり、あっという間に50人ぐらいに取り囲まれる。それでもにこやかに応対されていた。

オックスフォード大学では世界中の王族やセレブが学んでおり、極東のプリンスでも目立たない。普通にいる20代の若者と変わらず、自由と交友を謳歌していた。Gパン姿でディスコに入ろうとして断られたこともある。柏原芳恵やブルックシールズのファンで、彼女たちのシールを寮に張っていた。

クラスメートの女子学生に論破される

ある時、英国の大学と日本の大学の違いを質問したら、「こちらの大学のゼミのやり取りは面白いです。日本では女子学生はおとなしくあまり発言しませんが、こちらでは元気でどんどん発言し、論破されてしまいます。いいですねえ」と目を輝かした。この時、筆者は「日本の多くの大学では今、女学生の方が元気がいいようです」と説明したことを覚えている。

実は浩宮さまには憧れていたクラスメートがいた。ノルウェーの聡明な人。浩宮さまが「パーティーの誘いの手紙を出したら、行ってくれると返事があった」とうれしそうにおっしゃっていたことを思い出す。当時は英国では書簡でやり取りする時代だった。

しかし、天皇になる身であることをよく自覚されており、この淡い思いは封印されたようだ。聡明で論破してくれる女性のイメージは雅子さまに引き継がれたのではなかろうか。

30歳までに結婚したいと明かしたこともあった。1985年2月、理想のお妃像を聞いたところ、「ティファニーであれやこれやと買物する人では困ります」ときっぱり。ここでも奢侈に流れないインテリ女性のイメージが浮かび上がる。

浩宮さまにとって英国留学は得難いご経験だったようだ。世界の多くの若者と交流し、協調と平和友好の精神を学ばれた。お酒もたしなみ、パブや寮の食堂などで本音ベースで学友と話すことも多かったようだ。欧州各地を旅行し、多くの民族との交流を通じて多様性を尊重すべきであることも改めて認識されたように思う。

1983年8月 スコットランドでの浩宮さま

浩宮さまはオックスフォード大管弦楽団に所属し、ビオラ奏者としてさまざまな演奏会に参加していた。ある時、NHKや民放のロンドン特派員から「ぜひ日本の視聴者に演奏のニュース映像を送りたい」との要望があった。筆者のバイオリンより数段ご上手なのに、宮内庁が「音は前例がないので困る」と音声の放送を拒否。そこで「音無しのオーケストラでは意味がない。浩宮さまはプロ級なので大丈夫」と掛け合った結果、最終的に音入りで放映され、多くの音楽ファンの共感を呼んだ。この背景には浩宮さまのご意向もあったと思う。

美智子さまのヒューマニズム精神を継承

浩宮さまの留学時代に、当時の皇太子夫妻(平成の天皇・皇后)が公務で世界各国に行かれた帰途、ロンドンに毎年立ち寄り、浩宮さまも交えて記者会見した。ご夫妻はアフリカや北欧などの印象を語り、「相互交流と平和友好の尊さ」を強調し、浩宮さまも全面的な賛意を示していた。

その後、筆者は東京で皇后になられた美智子さまと、あるパーティーで話したことがある。浩宮さまとの英国時代の思い出をちょっと披露したら、「もっと聞かせてほしい」とおっしゃり、15分以上も耳を傾けてくださった。「世界の人々に寄り添い平和を願う」お気持ちも伝わってきた。美智子さまのようなヒューマニズム精神にあふれた温かい母親の下で、浩宮さまの資質やお考えも育まれたのだろう。

留学時代の浩宮さまは、利発なのに謙虚。とても思慮深く、博識で、日本や世界のことに深い思いを巡らせていた。開明的な国際派でもあり、現地特派員や外交官らと「将来の天皇として相応しい」と話したことを覚えている。

留学を終えた1985年10月、浩宮さまは「寮の部屋ごと、記念に持って帰りたい心境です」と述べられた。英国留学が充実し青春のかけがえのない想い出深いものだったと心から感じておられることがうかがえた。

■筆者プロフィール:八牧浩行

1971年時事通信社入社。 編集局経済部記者、ロンドン特派員、経済部長、常務取締役編集局長等を歴任。この間、財界、大蔵省、日銀キャップを務めたほか、欧州、米国、アフリカ、中東、アジア諸国を取材。英国・サッチャー首相、中国・李鵬首相をはじめ多くの首脳と会見。東京都日中友好協会特任顧問。時事総合研究所客員研究員。著・共著に「中国危機ー巨大化するチャイナリスクに備えよ」「寡占支配」「外国為替ハンドブック」など。趣味はマラソン(フルマラソン12回完走=東京マラソン4回)、ヴァイオリン演奏。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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