先行き不透明な日朝関係、首脳会談が実現すればぜひ拉致問題を詩で

北岡 裕    2024年6月24日(月) 14時30分

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朝鮮民族は詩の民族だといわれる。写真は13年7月に完成した祖国解放戦争参戦烈士の墓地。詩が書かれた石碑があった。筆者撮影。

北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の外交官は米朝交渉において何度か米作家マーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」の一文「犬は吠えてもキャラバンは進む(The dogs bark, but the caravan moves on)」を引用している。

この言葉が引用されるのは概して米朝関係が良くない、緊張関係にある時なのだが、敵国の作家の小説を引用し、また犬を絡めるチョイスが心憎い。負け犬の遠吠えと解釈しがちだが、朝鮮語で犬はケーセッキ(直訳は犬の子どもという意。ヤクザ映画やバイオレンス映画で多用される。朝鮮語、韓国語を理解する者ならこれを言われたらカッとするし、殴り合いになるのは当然だ)をはじめとする侮蔑語でもよく使われる。日本語でも官憲を「権力の犬」などと呼ぶ向きや「犬畜生」などという言葉があるが、これとケーセッキのベクトルは同じだ。それを踏まえて改めて考えてみると、この引用はかなり厳しく、また北側にとっては痛快なことを言っていると分かる。

ところで日本において、詩は縁遠いものと感じるのは私だけだろうか。詩集に触れることも、普段誰かに詩を読むなんてこともない。思い出すのは国語の授業で習った谷川俊太郎の詩、結婚式スピーチの定番の吉野弘の「祝婚歌」くらいだ。コリア系専門書店の人は「南北共に朝鮮民族は詩の民族ですからね」と言う。その方と話して獄死した韓国人の詩人、尹東柱のことをようやく思い出したが、その詩は思い出せない。この点、自らの浅学さを恥じる。

私の知っている日本人女性の中に韓国人の恋人がいた人がいて、交際中に彼氏が折に触れて自作の詩を彼女に読んだと聞かされた。その詩の内容は聞きそびれたが(聞きたくもなかったが)、日本人女性の瞳の中でハートマークが輝いていた。よく似たエピソードはいくつかあり、折に触れて詩を送られ、またお気に入りの詩人の詩集を送られたという話も聞いた。異性間だけでなく同性間でも、恋人同士だけではなく、友人の間柄でもだ。それだけ詩は韓国人の身近にあり、また相手の心を撃ち抜く弾丸なのだ。そして詩に対して無防備な日本人の心に風穴を空ける。

北朝鮮でも詩は似た存在だという。ある在日コリアンの方に面白い話を聞いた。彼らが母国に行くと、現地の人は遠い異国から来た、しかもいろいろと厳しい環境(在日コリアンへのヘイトスピーチや朝鮮学校への補助金問題などは北朝鮮国内でも広く知られている)で暮らす同胞を温かく迎える。

だがまれにひねくれた人もいて「おまえら同じ朝鮮人なら、何か朝鮮の詩の一つでも吟じてみろ」と無茶ぶりをしてきたのだという。

このあたり在日コリアン側も周到に準備していて、1人が「ではやってみせましょう」と手を挙げ、朗々と、北朝鮮の人なら誰でも知っている詩を歌ってみせたところ、そのひねくれた人も驚き、感激の握手を交わしたという。まるでラップバトルのような詩の応酬の場は想像するだけで愉快だ。

その在日コリアンの男性がアドバイスしてくれた。「『白頭山』という長編詩を覚えていきましょう。紙を見ながらでも、初めの数節だけでいいので朝鮮語で朗々と読んでみてください。現地の人たちは驚いてひっくり返りますよ」と。

なるほど。この詩を読むなら、平壌での歓迎宴の席がいいだろう。「今日の歓迎会に感謝の気持ちとしてひとつ、朝鮮の詩を披露しましょう」と読む。中曽根康弘元総理の姿が重なる。かつて外遊先の韓国で、サプライズで韓国語でスピーチし、韓国語の歌「黄色いシャツの男」を歌い、一気に全斗煥大統領との関係を縮めた。同じ展開になれば素晴らしい。さっそくいくつか読むべき詩のピックアップを別の在日コリアンの友人に頼んだ。

似た試みはすでに成功していた。先日都内で「朝鮮音楽の祭典」という演奏会に行った。幕が下りてから関係者の方に感想を伝えたところ、それを聞いたその方の言葉が徐々に熱を帯びてきた。「これからも既成概念を突破する公演を行いたい」という熱い言葉に、「なるほど。『突破せよ、最先端を』ですね」と2010年ごろに流行した北朝鮮の歌の題名を絡めて答えたところ、なぬ!と笑顔になった。効果は抜群だったようだ。

さて「三国志演義」の逸話の一つに、三国時代、魏の曹丕と弟の曹植の「七歩詩」という話がある。曹植をねたむ曹丕は「私が7歩歩く間に詩を作れ。出来なければ処刑する」と宣言する。曹植はたちどころにこう詠んでみせた。

煮豆燃豆萁

豆在釜中泣

本是同根生

相煎何太急

同じ根から育った豆と豆がらを兄と自らに例え、対立する悲しい関係を詠んだとされる。結果、曹植は処刑を逃れた。先の「風と共に去りぬ」も然り、実際に政治と歴史を文学が、詩が動かすことがあるのだ。

さて、日朝関係の先行きは相変わらず不透明だ。モンゴルでの接触が最近あったとされるが、さて首脳会談までつなげることができるのか。拉致問題の進展はあるのか。

もし首脳会談が開催されることになったら、僭越ながら岸田総理にご提案したい。会談の場で何か一つ北朝鮮の詩を読んでみてほしい。あるいは七歩詩のように、拉致被害者と特定失踪者とその家族の別離を詩に乗せて読んでみてほしい。「拉致被害者と特定失踪者を返せ」というような直球ではなく、婉曲と比喩と、若干の皮肉と、年長者からの戒めをも込めた詩を読んでほしい。

会談の場の空気は変わるはずだ。総理の自作が無理というなら、詩人の英知を結集してでもいい。詩の不意打ちと文学の力で場の空気を握り、硬直を究める交渉を進める勇気ある選択を強くお勧めしたい。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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