和華 2024年6月24日(月) 18時30分
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「地球の歩き方」中国編の制作担当を10年務めた中国旅行のスペシャリスト、高島正人さんに当時の中国のエピソードも交えながら編集の裏話を伺った。写真は水郷の周荘。
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街中の書店の海外旅行コーナーに行けば必ずガイドブックがある。その中でも一番有名なのは「地球の歩き方」だと言っても過言ではないだろう。今回は同誌中国編の制作担当を10年務めた中国旅行のスペシャリスト、高島正人さんに当時の中国のエピソードも交えながら編集の裏話を伺った。
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■「地球の歩き方」に携わるようになったきっかけを教えてください。
1997年に当時あった出版社ダイヤモンド・ビッグ社の東京本社に異動したことがきっかけで、「地球の歩き方」の編集に携わるようになりました。それまでは大阪支社で当時メインだった大学生のための就職情報誌に採用広報を掲載する企業への営業と、同情報誌の制作を担当していました。しかし、バブル崩壊と共に就職氷河期が訪れ、人材採用部門が縮小したことにより東京に異動。当時シェアを伸ばしていた海外旅行部門内にある「地球の歩き方」編集室に配属されることになりました。
■「地球の歩き方」編集室ではどのような業務を担当されていましたか?
ガイドブックの改訂作業を担当しつつ、余力で旅を主なテーマにしたさまざまな書籍の制作を行っていました。当初はシンガポール、スイス、インド、オーストラリア、タイなどいろいろな国を担当し、その後、退職するまでの10年間は主に中国を担当していました。中国編は全編以外にも北京や西安など地域ごとにも出版しており、中国本土だけで10種類あります。この全てに版元の社員が毎年出張で現地取材というのは難しいので、日本からの取材は編集プロダクションの編集者と専門の写真家、そして一部のデータチェックを現地協力者にお願いしていました。中国編は1979年に初版を出版しましたが、当時は外国人に開放されている都市が29都市しかなかったそうです。取材班は香港経由で中国本土に入り、現地の公安などと直接交渉して、許可証を発行してもらいながら未解放都市を訪問し、着実に中国全土の観光ルートを完成していったそうです。そして初版が完成した際は、あまりの興奮から新宿駅で刷りたての本を勝手に無料配布しちゃったんだとか(笑)。一方、ある担当地域を旅して帰ってくると別のエリア担当へ異動になりがちなジンクスのある私ですが、それでも行かないわけにもいかないので、改訂作業の隙間を縫ってプライベートで行くことが多かったですね。FAM(視察)ツアーなど招待旅行のお声がけをいただければ参加させていただくこともありました。そこで感じたことは改訂時の打ち合わせなどに生かしていました。
■「地球の歩き方」は何度も改訂を繰り返しているのが印象的ですが、どのようなタイミングで改訂されるのですか?
「地球の歩き方」の創刊当時から話をしますね。当時、学生向けにフリープラン旅行を販売しており、旅行から帰ってきた学生たちが旅の感想をはじめとする口コミをフィードバックしていました。その口コミが一定数溜まった段階でガイドブックとしてまとめてみてはという話になり、「地球の歩き方」が誕生しました。創刊当初は旅ノートのようなイメージで、マニアックな内容や再現性があまりない情報でも臨場感を優先して載せることも多かったと聞きますが、当時海外旅行に行く旅人たちは大らかな人が多かったらしく、それも旅の醍醐味だと許容されていたとのことです(笑)。ただ、時代の推移と共に海外旅行が大衆化されていき、旅人たちがより正しく安全な情報を必要とし始めたことや、ツアー旅行の台頭もあって、誌面の内容もそれらに合わせて変化していきました。またそれ以外にも、最新の情報を読者に届けたいという考えから、基本は1年から1年半に一度改訂するようにしています。中国以外のエリアを含めると全200冊を超えますが、その中でもなんらかの事情で渡航者がかなり少ない地域は2年から3年での改訂頻度になることもあります。
■中国に興味を持ったきっかけを教えてください。
もともとバイクの旅が好きだった私は、日本国内はほぼ走ったので、友人と次は海外で走ってみようと話をしていました。その際、草原を走ると爽快そうだからモンゴルに行こうと考えましたが、当時は現地の観光受入環境が整っておらず断念しました。地図を見ていたところモンゴルの下に「内モンゴル」と書かれた地名を発見。ここなら同じモンゴルという地名もあるので草原の上で旅ができるだろう、それなら渡航前まで中国語を勉強しようと決意し、94年から通勤時間でNHKラジオの中国語会話を聞きながら勉強を始めました。当時は「地球の歩き方」の部門に配属される前だったのですが、旅行ルート策定の際には「地球の歩き方」を片手にいろいろ調べていたのを思い出します。調べていく中で、中国はガソリン配給制のためバイク旅から自転車旅に変更し、道中に外国人観光客が訪問できない未開放都市があったため、通行許可の申請などの準備をしていました。そしていよいよ出発当日、神戸港からフェリー蘇州号に乗り上海へと旅立ちました。これが私にとって初めての中国訪問です。
■初の中国訪問はいかがでしたか?
上海から蘭州経由で内モンゴルの包頭へ向かい、自転車で省都のフフホトを目指しました。道中は本当にいろいろなことがありました(笑)。上海のような大都市でも中国語の標準語が通じなかったり、クレジットカードが使えなかったり、新車を売る自転車屋を見つけられず貸し自転車屋さんに売ってくださいと交渉したり、野宿したりと、言い出したらキリがないです。ただ中国旅行は決して悪い思い出ではなく、むしろ現在の中国の発展を見ているからこそ、昔の中国を体験できたことは非常に貴重だったと感じています。その後中国には累計で20回前後渡航しました。西部地区は未開拓の地域が多いのですが、それ以外の場所は大体回りました。直近では2019年に蘇州エリアを周りましたが、電子決済ができないとタクシーが捕まりづらかったり、支払いできないところが多かったりと、不便に感じることが多くなりましたね。私は中国国内の銀行口座を持っていませんが、クレジットカードをひも付けてWeChatやアリペイの口座が使えるようになり、チャージ方法は空港などにある「ポケットチャージ」という外貨を使って希望する電子マネーにチャージできる機械を使っています。
■日本人の訪中観光客を増やすために必要なことは何でしょうか?
中国といえば広大な自然遺産、歴史的建造物、伝統文化、美食など、昔からさまざまな魅力的なコンテンツがあります。ただここの旅行コンテンツがあまり刷新されていないイメージがあります。ITやテクノロジーの発展や文化関係の施設など、新たな観光資源が日々誕生している中国なので、その情報を適宜発信して、新たな観光客、特に若者に適した観光情報の発信が大事になってきます。また、日本人は食の安全にはとりわけ厳しいため、基準を設けてきっちりやっている様子を積極的に発信することも非常に大事になってきます。例えば、段ボール肉まんなど世間を震憾させた食に関する問題は、日本人観光客の訪中意欲に影響を与えました。しかし、今は日本の街中にも本格的な中華料理店が増えてきており、「ガチ中華」なども流行してきています。アフターコロナに多くの日本人観光客を中国に誘客するためにも、現地の食事がいかに本場の特色があるか、そして衛生面などの安心安全を発信していくことが肝になると感じます。最後に、旅の醍醐味はやはり現地の人との交流です。現在は翻訳機のレベルも向上しましたし、昔と比べて観光受入に積極的な都市も増えてきたので、リアルな中国人と交流する企画を用意することで、旅の思い出がより深くなり、中国観光のリピーターが増えるのではないでしょうか。
■SNSなどで観光情報を得る時代ですが、今後も紙のガイドブックは存続していけると思いますか?
昨今の紙媒体は、どこもSNSや電子媒体に取って代わられる現象が顕著ですね。ただ私は「地球の歩き方」のようなガイドブックは必ず残っていくと思います。まずスマートフォンは充電とネットが不可欠ですが、ガイドブックは水中以外で光がある場所であれば、いつでも見ることができます。そしてネット検索する際は基本的に自分の知りたい観光地の情報のみを知ることが主ですが、ガイドブックは辞書と同じく一つのページでさまざまな情報を知ることができます。意外な情報や旅のうんちくなど、旅をより豊かにしてくれるヒントが結構書いてあったりします。もちろんネットで調べることも大事ですが、海外旅行で何かあった時のためにガイドブックを旅のお守り代わりに1冊携帯していくことはこれから先もニーズがあるのではないでしょうか。(提供/日中文化交流誌「和華」・編集/藤井)
【高島正人氏プロフィール】
旅行ガイドブック「地球の歩き方」元プロデューサー。1964年大阪生まれ。1987年にダイヤモンド・ビッグ社大阪支社に入社、1997年に東京本社へ異動、「地球の歩き方」編集室に配属。2020年12月末に離職。現在は編集や校正、イベント事務局などの手伝いを地道に重ねつつ、晴れた日には布団を干す快適な生活を実践中。
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