元駐日外交官が語る日本と中国=「歴史を鑑とし、時代とともに変わるべき」―中国メディア

Record China    2014年9月4日(木) 10時9分

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3日、かつて日本で外交官を務めた李宗恵氏(78)は1954年、18歳の時に北京大学の東洋語学科に進学した。資料写真。

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2014年9月3日、かつて日本で外交官を務めた李宗恵(リー・ゾンフイ)氏(78)は1954年、18歳の時に北京大学の東洋語学科に進学し、国学の大家である季羨林(ジー・シエンリン)氏(元東洋語学科主任)の指導の下、「国のために貢献する」との考えから、当時は将来の見通しが明るくなかった日本語専攻を選んだ。新華網が伝えた。

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李宗恵氏とクラスメートは、日中友好に携わる人々を通じて、日本人の文通相手と知り合った。中林鄭子さんもその1人だ。李宗恵氏は、中林さんから初めて受け取った葉書について次のように描写した。「新潟の若い女性で、伝統的な和服を着て和髪を結い、畳の上で正座をし、窓の外の美しい花火を眺めている写真だった。女性の表情は穏やかで、全体的にとても静謐な感じがした」。

面識も無い、しかもかつての敵国の人間に手紙を書くことは、李宗恵氏ら中国青年にとって複雑な感情を起こさせることだった。「多くの人は、通訳は外国人のために話をする仕事だと思っていた。日本人のために話をするなど、裏切り者だ。ましてや、手紙を書くなどすれば、敵に内通して祖国を裏切った証拠を残すことになるのではないかと心配した」。

しかし李宗恵氏は、「初めて中林さんからの返信を受け取った時は、うれしくて椅子から飛び上がった」という。当時、中国の民間人は外国との交流が限られており、日中両国もまだ国交が正常化しておらず、8年間の抗日戦争の痛みがまだはっきりと残っていた。当時の中国において、日本は非常に敏感で重い話題だった。しかし、憎むべき、よく知らない隣国・日本からの返信は、李宗恵氏に外の世界へと続く窓を開かせた。

天津生まれの李宗恵氏は、日本軍占領下の辛く苦しい生活を経験している。日本人の穀倉で働いていた李宗恵氏の母は、トウモロコシを「纏足(てんそく)」の中に隠してこっそりと家に持ち帰り、粥を作って飲ませてくれた。また、日本の歩哨の前を通るたび、日本人に向ってお辞儀をしなければならず、しなければなぐられた。「当時を知る中国人は皆、日本に対して複雑な感情を抱いている」。

李宗恵氏が日本の地に足を踏み入れたのは1984年のことだ。人民大学日本語学科で教鞭をとっていた李宗恵氏は、在日本中国大使館の教育外交官に任命された。その前年の1983年、日中は「平和友好、平等互恵、長期安定」の日中関係三原則に「相互信頼」を加え、日中関係の四原則とし、両国関係も徐々に回復しつつあった。

李宗恵氏はそれから10年間にわたり外交官として働き、その後も日本で中国語教師として働いた。計12年にわたる日本滞在で、47都道府県全てを訪れたという。「もし人の一生を一週間に短縮するならば、そのうちの1日間を丸々日本で過ごしたことになる」と語る李宗恵氏は、「日中関係の変化の全過程を目にしてきた」と自負する。

現在、日中両国政府の関係は冷え込み、国内の主流テレビ局でも抗日ドラマが繰り返し放送されている。そんな中、日中友好を主張する李宗恵氏は、多くの人にとって「異質な存在」だ。

李宗恵氏は自宅で定期的に日本文化展を催し、日本で苦心して探し集めた葉書やテレホンカード、浮世絵などを、季節ごとに内容を変えて展示している。日本での授業時、李宗恵氏は学生に儒学について紹介し、日本による中国侵略戦争や釣魚島(日本名・尖閣諸島)の問題について討論し、中国側の立場を詳しく述べた。

「過去を追想することは、憎しみを忘れないためではなく、反省するため」。新潟で日本人学生と抗日戦争について語り合った時のことについて、李宗恵氏は「彼らは恥じ入っていた。中国に対して申し訳ないと感じていた」と語る。

李宗恵氏はさらに、「中国人の我々も過去を総括し、教訓を汲み取る必要がある。国の富強と自立こそが根本。日本人は後進国を軽視するが、向上心の無い国はもっと軽視する」、「日中の付き合いの難点は、文化面の障害であり、言語面の障害ではない。戦争や歴史問題について、多くの日本人は戦争が中国にもたらした苦しみを全面的に体感することができない。彼らは自分達も戦争の被害者だと考えている。確かに彼らも軍国主義の犠牲者と言える。我々は軍国主義と日本国民の違いをうやむやにしてはならない」と続けた。

李宗恵氏は、「歴史を鑑とし、時代とともに変わる」ことが、過去に対する最も正しい態度だと主張する。「我々はもう70年前の見方で日本を見ることはできない。逆に、70年前の見方で中国を見られたら、我々も反感を覚えるだろう。時代と共に変わることは、世界のどの国との交流においても通じる道理」。

李宗恵氏は今も毎年のように日本を訪れ、古い友人を訪ね、大学で学生のために講演を行い、文化交流を行い、両国の理解増進のため力を尽くしている。「1つの国を理解するには文化から始めなければならない。両国間に頻繁な交流があってこそ、互いを深く理解し、誤解と隔たりを減らし、より良い協力と発展を実現することができる」。(提供/人民網日本語版・翻訳/SN・編集/武藤)

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