東洋芸術の花、中国の藍染め=現在もほとんどが手作業

和華    2024年7月29日(月) 17時30分

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藍染めは昔から中国人にとって身近なもので、原型ができあがったのは秦の時代だったという。

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藍染めは昔から中国人にとって身近なもので、原型ができあがったのは秦の時代だったという。日本には6世紀ごろに原料となる藍が中国から伝わり、それ以降、広く藍染めが作られるようになった。藍染めは中国では南部を中心に各地で作られ、特に貴州省などで少数民族が伝統的に民族衣装や暮らしの道具に取り入れ、豊かな藍染め文化が育まれた。ここでは貴州省南東部の藍染め文化を紹介する。

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貴州省の少数民族に残る蜡纈染めの技術

藍染めは蜡纈染めとも言い、古くから中国人に愛されている。藍染めは色の鮮やかさだけでなく、より重要なのは実用性だ。藍には抗菌、防虫、消臭の効果があり、藍で染めた服は肌荒れや湿疹に効果があり、蚊に刺されるのも防ぐ。染めた後の繊維はより耐久性がある。

藍草

中国の古代の藍染め技術には蜡纈、纐纈、夾纈の三つの基本タイプがあった。纐纈と夾纈は成功率が低く、染め方も難しいため、次第に蜡纈に取って代わられていった。

蜡纈染めは、まず蜜蝋を溶かして蝋刀に蝋をつけて白い布に各種デザインを描く。その後、適切な低温度で染められた藍のかめに浸ける。染料は蝋がついていない部分に浸透し、人工で作ることができない自然な模様を作り出す。もみ洗いをして蝋を取り除くと、美しい白い花が浮かび上がるのだ。こうして蜡纈染めの作品が完成する。蜡纈染めは「東洋芸術の花」と言われ、その中でも貴州省の少数民族が集住する地域に伝わる蜡纈染めは独特の風格を備え、中国の無形文化遺産の一つとなっている。

蜡纈染めは蝋刀に蝋をつけて布にデザインを描くという特殊な作り方

蝶は地元の人々が崇拝しているシンボルで蜡纈染めによく登場する

貴州省の南東部に位置する黔東南ミャオ族トン族自治州は、美しい山々と川が広がり、気候も温暖で資源が豊富で、民族の風情にあふれている。素朴な民族が暮らしており、鼓楼や風雨橋、欄干式吊脚楼、美しい都柳江や清水江、立ち並ぶ少数民族の村々、そしてしっかりと保存された独特の民俗文化がある。

貴州省黔東南苗族トン族自治州从江県岜沙苗寨の風景

貴州省は藍草が豊富な土地で、この藍草を穴に入れて発酵させ藍を作る。農村の市場には必ず藍を染料とした染め物屋があり、藍を購入して自宅のかめで染める人もいる。染める時期は主に旧暦の7月15日から8月15日に集中している。普段人々は家で織物を織り、いざ染色の段になったときは材料の調達から布が染まるまで約1カ月をかけると言われている。

蜡纈染めの工房

工房で絵を描く女性

貴州省の丹寨県、安順県、織金県などはミャオ族を中心に多くの民族が居住する地域で、秦漢時代にはすでに蝋の特性を把握しており、後漢時代には蜡纈染めの技術がかなり成熟し、西晋時代には10種類余りの蜡纈染め製品を作っていた。隋唐時代にはピークを迎え、蜡纈染めが発達した地域となった。

蜡纈染めは手織りの白い布を使用し、模様を描く道具は筆ではなく自作の鋼のナイフ

文化の交流により、この技術は日本やインドシナ半島にも広がった。宋の時代になると、より手軽なプリントが登場し、蜡纈染めは中原地域では次第に失われていったが、貴州省などの西南地域に住む人々は長い間世界と隔絶され、自給自足の生活をしていたため、古い蜡纈染めの技術が保存され、受け継がれてきた。制作過程のほとんどが手作業で、現在に至るまで機械化、自動化で代替することはできない。(提供/日中文化交流誌「和華」・編集/藤井)

染めた布を芝生に干す女性

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