<雲中錦書>私の人生を変えた中国~中国・日中関係をライフワークに~

Record China    2024年9月10日(火) 19時40分

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私は1985年秋に初めて中国を訪問した。新聞記者として、愛知県知多地区と江蘇省徐州市との姉妹提携の取材が目的であった。この時の体験を契機に、中国・日中関係を自分のライフワークにすると決めた。

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中国が私の人生を変えた、と言っても過言ではない。私は1985年秋に初めて中国を訪問した。新聞記者として、愛知県知多地区と江蘇省徐州市との姉妹提携の取材が目的であった。この時の体験を契機に、中国・日中関係を自分のライフワークにすると決めた。

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当時、私は知多地区の市長・町長や議会議長など百名の訪中団に同行し、愛知県小牧空港からチャーター機で南京空港に着陸した。南京から徐州まで列車で約8時間、車窓からは大陸の大地が果てしなく広がっていた。地平線へ沈みゆく巨大な太陽は、日本では見られない感動的な光景だった。

徐州では、市人民政府が、発掘されたばかりの古代の兵馬俑を特別に訪中団に紹介した。数千体の兵馬俑の大半がまだ土に埋まっていた。1970年代に西安で発見された秦の始皇帝兵馬俑が世界的に有名だが、地方都市の徐州で約2100年前、大量の兵馬俑が製造された歴史に驚いた。日本では全く知られていなかった。帰国後に考古学者に学問的見解を取材して記事を書き、「特ダネ(独家新聞)」として大きく報道した。

この訪中を通じて、私は、中国の宏大な大地と悠久の歴史に強く惹かれた。一生かけて中国を知り、日本との関係を考えよう、と決めたのである。帰国後、すぐに中国語の学習を開始した。

こうして、徐州訪問から5年後に希望が叶い、1995年6月から1998年6月まで、中日新聞・東京新聞の上海支局長として上海に駐在した。鄧小平氏の南巡講話により改革開放の加速が指示され、上海・浦東開発が国家プロジェクトとして本格化し、上海経済が成長し始めた時期である。私は広い中国を全て知ろうと考え、3年間に通算34回、中国国内を出張取材した。豊かな沿海部と貧しい内陸奥地など、東西南北、様々な民族、方言、風俗などに触れて、“多民族国家”中国の多様性と多面性を実感した。

雲南 ナシ族と

中国駐在中に精力的に記事を書き、日本の新聞で報道した。主な記事は、「香港返還」(1997年)、「三峡ダム建設」(1997年)、「江沢民朱鎔基体制へ」(1997年)など。「辺境の改革開放 中国雲南省ルポ」(1995年、3回)をはじめ、中国各地の実情を紹介する記事も多数発表した。

特筆すべきは、上海の“流行語”を通して中国社会や中国人の変化を捉えた連載「流行語に見る 上海最新事情」を3年連続発表したことだ。95年に6回、96年に6回、97年に5回、それぞれ連載した。計画経済から市場経済への急速な変化に伴い、中国・上海の実情をありのままに日本の読者に伝えようと取材に取り組んだ。

支局の助手、運転手が献身的に取材をバックアップしてくれた。3年間取材に専念し、「真実的中国」報道を実現することができた。支局助手さんとは現在も「老朋友」だ。

私は上海駐在中に、発展途上国から経済大国へと向かう過程の中国を観察した。「旧い中国・上海と新しい中国・上海の両面を理解することができた。こうした経験は私の中国観を形成し、その後の私の活動の貴重な基盤となった。

帰国後、私は新聞社のデスクや論説委員を務め、客観的な中国報道に取り組んだ。退社後の2011年から10年間、名古屋外国語大学教授として、現代中国論や日中関係論の教育・研究に取り組んだ。学部生や大学院生に向けて、事実に基づく客観的な中国の実情や日中関係の経緯などを講義した。

2015年に第1回日中大学生討論会を私が企画・実行委員長として名古屋で開催し、翌年から同済大学-名古屋外大-大連大学-名古屋外大の順に毎年、開催した。次代を担う両国大学生の意見交換を通じて、相互理解を促進することができた。

活発に討論を展開する大学生・院生

また、2000年から同済大学亜太研究中心の客員研究員、2011年からは同済大学顧問教授として、同済大学主催の日中関係研討会(その後は「日中韓三カ国論壇」に改称)に、毎回出席して発言し、意見交換をした。

2004年からは中国特派員経験者で組織する日本ジャーナリスト訪中団の団長としてほぼ毎年訪中し、外交部亜洲司や中国社会科学院日本研究所やなどとの定期交流を2019年まで続けた。今年は訪中団結成20周年を記念し、11月に再開する。

同時に、私は2013年から日中関係学会副会長兼東海日中関係学会会長を務め、毎年3回、名古屋で公開研究会や講演会などを開催している。2021年のピンポン外交50周年記念、2022年には日中国交正常化50周年記念の特別シンポジウムを相次ぎ開催した。

中国社会科学院日本研究所との座談会 (2023年8月28日)

私の原点は1985年の初訪中にある。あれから40年近く経過し、中国は改革開放政策の進展により米国に次ぐ経済大国になり、世界の経済成長に大きく寄与している。中国の掲げる「人類運命共同体」の新理念は2017年から7年連続で国連総会の決議採択を得た。中国提唱の「一帯一路」共同建設は10年間で150カ国・地域、30国際機関と協定を結び、世界最大規模の経済協力プラットホームを形成した。

外交部訪問 アジア局副局長

一方で、米国主導の安全保障と経済安保による中国封じ込め政策は、国際社会の分断への懸念を増す。日本は日米同盟と日中関係のバランスを取り、日中韓の北東アジア三国の協力を軸にして、東アジアの平和と安定の構築に努力する必要があると考える。

私は今後もなお、「真実の中国」を日本国内で広く知らせるとともに、引き続き日中関係の改善に人生を投じていきたい。(2024年7月23日 記)

名古屋外国語大学名誉教授 川村範行

日中関係学会副会長 兼 東海日中関係学会会長

元 中日新聞・東京新聞上海支局長/論説委員

鄭州市「書法村」で


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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