フライメディア 2024年9月26日(木) 7時30分
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江蘇省の揚州は隋の時代に皇帝の命で造られた大運河により物流の一大拠点として繁栄の時代が始まった。写真はかつての塩商人の邸宅。
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旅行が趣味の筆者は月に一度、飛行機や高速鉄道で旅行している。今回目的地に選んだのは江蘇省の揚州。古くは隋の時代に、皇帝の命で造られた大運河により、物流の一大拠点として繁栄の時代が始まった。
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昔は上海をはじめとする江南地方の海辺は塩の大産地で、産出された塩が揚州に集まり、塩の交易で財を成した塩商人が多く誕生した。豊かな財力を基盤にさまざまな文化が興り、今も受け継がれている。
日本人なら誰もが知っている、患難辛苦を乗り越えて日本に渡った鑑真和上の寺も揚州にある。また、揚州といえばチャーハンだ。本当に揚州ではチャーハンが名物料理なのだろうか?と調べるほどに興味が湧き、行ってみることにした。
上海在住の筆者は高速鉄道で揚州へ向かった。所要時間は2時間。揚州には空港があるものの、国内線がメインで日本との直行便は運航していない。揚州に着いたら街散策。まずは揚州の中でも古く庶民的な街並みが残るエリアへ。
「仁豊里」と呼ばれる路地は全長700メートルほどと決して長くはないが、この目抜き通りに直角に交わる路地という、唐の時代の街づくりの形を今に残している。近年は開発が行われ、住民の暮らしや古建築を保持しつつ、観光客も訪れやすい街づくりをしている。歴史ある路地をのぞきつつ、ぶらぶら歩きが楽しい。
揚州の街中でとにかく目につくのが「修脚」と呼ばれる足ケアの店だ。
「修脚」の定番は、足湯の後に爪を切って形を整え、角質を取るケアをしてくれる。うおのめやたこ、水虫の治療もできる。中国では2000年前から足のさまざまなトラブルに対応する修脚の記録があり、揚州の修脚は300年の歴史があるという。また、昔ながらの銭湯もよく見かけた。
上海では古さを感じる町銭湯はほぼ見られなくなったが、揚州では民国時代に開業した銭湯がいまだに現役だ。惜しむらくは女風呂が少ないこと。特に夏季は閉鎖しているところが多いという。女風呂は浴槽がなくシャワーのみ。銭湯といえば広い浴槽という日本人の一般的なイメージとかなり異なる。
揚州は「揚州三把刃(揚州三大刃物)」と呼ばれる3種の刃物とそれにまつわる技術が有名だ。3種の刃物とは包丁、髪の毛をカットするハサミ、足ケアをする際の刃物を指す。
このように、揚州の街中を散策すると、上海とはまた違った景色を楽しめる。揚州は観光局も路地を巡る街歩きを推奨しており、こんな地図を街中で見かけた。この地図をたどって歩く路地はかなりローカル色が強く、揚州のディープな街歩きを存分に楽しめた。
旅の大きな楽しみはご当地料理。なんと揚州には香港や広東エリアで有名な飲茶の習慣がある。これは塩商人が朝にお茶と3種の点心をたしなむ習慣から発展したという。
揚州といえばチャーハンを連想する人も多いだろう。揚州は確かにチャーハンが名物で、あちこちのレストランの定番メニューになっていた。たまたま夜タクシーに乗った際に通りかかった面白い名前のチャーハン店が気になり、ドライバーに聞くと、「老夫婦が長年開いているお店で、おいしいよ」とのことなので、食べに行くことにした。
見た目からしてシンプル。ご飯、卵、ネギで終了。厨房で作っている様子を見たが、あっつあつに熱した中華鍋に食材を入れ、一気に炒め上げていた。これぞパラパラチャーハン。シンプルな味わいでどんどん箸が進んだ。
今回の揚州旅で、日本人が忘れてはならない偉人ゆかりの地も訪れた。鑑真和上が住職を勤めた寺「大明寺」だ。
寺の境内には日本へ渡り多大な功績を残した鑑真和上の記念館が建てられている。奈良の唐招提寺金堂を縮小したサイズで造られている。
写真中央の石灯籠は記念館の完成時に日本から贈られたもの。その中にともる日は石灯籠の贈呈式以降、日中友好の火として消えることなくともされているという。この火が未来永劫続くことを祈ってやまない。(提供/フライメディア)
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Record China
2024/9/25
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