【観察眼】日本の皆さん、ようこそ「リアルな中国」へ

CRI online    2024年10月23日(水) 12時50分

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中日の民間交流が盛り上がりを見せている。

この秋、中日の民間交流が盛り上がりを見せている。直近の2週間だけでも、多くの青少年交流団の訪問、友好都市の相互訪問、さらに文芸や学術書の出版関連や映画交流など多くの活動が中日で同時に実施されている。当放送局もそれらのいくつものイベントを取材してきた。現場で強く感じたのは、中日の友好と交流の絆が深くて歴史が長いこと、そして対面交流に特有のリアル感だった。

研究や出版の関連では先週末、日本の中国古代史研究者である渡邉義浩氏の著作『論語 孔子の言葉はいかにつくられたか』の中国語版の出版記念会が北京市内で開催された。日本で「三国志歴史研究第一人者」として知られる渡邉教授は取材に対して、「私は諸葛亮マニアです」と堂々と宣言した。なぜ『論語』の研究を続けてきたかのかと問いに対しては、三国時代の魏の大臣だった何晏が著した『論語集解』から、諸葛亮も曹操も『論語』を読んだことが分かったことも背景の一つと、その動機を明かした。

このイベントでは、興味深い出来事があった。出席した中華孔子学会副会長も務める北京大学の哲学学科の張学智教授の張学智氏は、「『論語』の多くは、孔子やその弟子たちではない、別の思想家らにより作られたもの」という渡邉氏の説に対し、「完全には同意しかねる」と慎重さを崩さなかった一方で、同書は「中日の多くの学術成果を取り入れており、厳格な学術の規範を順守しながらも、一般読者にも分かりやすく書かれている」と渡邉氏の著作を高く評価したことだ。

「和して同ぜず」――。これも『論語』の言葉だが、まさに論語の内容がリアルに示された論語関連書籍の出版記念会の情景だった。この味わい深い出来事も、実際に膝を突き合わせた交流だからこそ実現したと言える。

渡邉氏の次の言葉にも深い感銘を受けた。

「『論語』などの漢学が日本の『背骨』を作ったのだと思う。西洋的な価値を見失いつつある現在、『論語』などをもう一度見直さなければいけない」だ。日本に『論語』などが伝わって、すでに1000年以上の年月が経った。渡邉教授は、日本人には日本人の『論語』の読み方があるので、それを中国語で紹介されることは、文明間の参照になるという指摘もその通りだと思える。

また、中国を訪れた日本人青年たちの豊かな感受性にも心を打たれるものがあった。当放送局は先週、日本中国友好協会の派遣による青年訪中団の団員らを取材した。立命館大学の石丸暁彦さんは、大学で平和学について学んだことがきっかけで、「日中間の平和のあり方について考えたくて参加した」と説明した。初訪中の感想として、「過去の侵略戦争のこともあり、来る前は、中国の人たちが受け入れてくれるか心配だったが、すごく暖かく迎え入れてもらえてうれしかった」と安堵した表情を見せた。

琉球大学の大城志織さんは、琉球王朝時代に中国に派遣された留学生(官生)の残した漢詩について研究をしている。官生の北京留学ともゆかりのある故宮や国子監(かつての中国の最高学府)附近を見学し散策したことで、「彼らが実際にどんな生活をし、どこで研究をしていたのかを見られてうれしかった」と、北京訪問の感想を興奮気味に話した。

二人は一様に、日本のメディアによる中国関連報道で受けた印象とは異なり、中国で接した人々はどの人も温かく友好的だったと語った。そして、二人はいずれも「顔と顔をつきあわせて交流すれば、必ず心を通わせることができる。積極的に交流を続けていけたら良い関係を築くことができるとの確信が持てた」ことが、一番印象に残ったことだと教えてくれた。

「朋あり遠方より来る。また楽しからずや」——これは『論語』の冒頭の言葉だ。どうか一人でも多くの日本人に中国に来ていただき、「リアルな中国」に触れていただきたいと思う。(提供/CRI

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