CRI online 2024年12月18日(水) 9時50分
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12月13日に11回目の南京大虐殺犠牲者国家追悼式典が行われた。写真は侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館。
12月13日に11回目の南京大虐殺犠牲者国家追悼式典が行われた。
今年は、日本人歴史学者の笠原十九司が南京大虐殺の歴史研究を始めて40年目にあたる。笠原は都留文科大学の名誉教授として、東アジア国際関係史の研究を行ってきた。彼は南京大虐殺に関する論文に、殺害現場が映った貴重な写真を掲載し、少数の人にしか知られていなかった史料を用いて、事実を明るみに出した。
笠原は、「南京大虐殺は事実である。世界が知っているが、日本だけが教えておらず、日本人だけ知らない。日本の恥だ」と語ったことがある。
笠原は大学時代の師である家永三郎の歴史教科書裁判をきっかけに、南京大虐殺の研究を始めた。家永が執筆した高校歴史教科書は客観的かつ公正に歴史を記述した上で、戦争の歴史を反省しており、当時は広く使われていた。しかし、発行から10年後の1962年、文部省から不合格の認定を受けてしまう。しかし家永は妥協することなく、32年間にわたる訴訟を始めた。その支援のため、教え子である笠原は長い現地調査の道を歩み始めた。
1965年に東京教育大学東洋史学専攻だった笠原は、日本人の青年100人以上を伴って、中国各地を訪れた。南京では、被害者の証言を直接聞いた。その証言の内容はその後、朝日新聞編集委員の本多勝一の著書『中国の旅』に収められた。
笠原はまた、妻と共に数十回にわたって米国にも赴き、大量の史料を集め、和訳して出版した。
家永が1984年に第三次訴訟を行った際には、笠原は洞富雄、藤原彰、本多勝一と南京大虐殺調査研究会を結成して南京での実地調査を行った。
笠原の取り組みは多くの人々に支えられていた。例えば、彼の論文に用いられた資料は永井元が提供したものだ。永井の父である永井仁左右は旧日本軍の兵士だった。永井親子は侵略戦争を反省するという共通の願いから、笠原に資料を託した。これらの貴重な写真と文書は2007年に『戦争責任研究』に収録された。
広島大学の本田義央教授が話したように、日本の教科書は侵略の歴史を消去し、否定し、歪曲している。必要なのは、より多くの人が歴史を正しく見ることである。それは、第二次世界大戦時に原子爆弾の被害を受けた人たちの立場から見ても同じだ。福山市立大学の佐藤利行理事長は、日本人は被爆という被害の歴史だけでなく、加害の歴史も忘れてはならないと語っている。
教科書の内容をねじ曲げ、日本国民に対して侵略戦争の歴史を隠蔽するというのは、愚かなやり方だ。歴史はそのものが良い教科書であり、歴史を忘れることは裏切りであるからだ。平和の道を守るには歴史の真実を守らなければならない。
南京大虐殺の歴史を直視するかどうかは中国と日本だけの問題ではない。ジョン・ラーベの日記とミニー・ヴォートリンの日記の公表は世界を驚かせた。また、南京大虐殺の状況を記事に書いたワシントンポスト紙のスティール記者は1987年にインタビューで、「残念なことに、南京大虐殺のことを信じない人がいる。しかし、確かにそれは起きた」と答えた。日本政府の、戦争の事実を覆い隠し、隠蔽する行為に対し、1990年12月26日付のニューヨークタイムズは南京大虐殺に関する史料を募集する広告を掲載した。これにより、さらに多くの証拠が披露され、侵略戦争の歴史を否定する理論は破滅していった。
歴史の隠蔽は、「耳を覆って鈴を盗む」かのような行為だ。歴史を見て見ぬふりをする国は、いずれ自身と隣国を再び戦争に陥らせることになる。より多くの日本国民に、歴史を正しく認識するよう求めたい。正しい見方で歴史に向き合ってこそ、本当の意味での反省ができ、相手の信頼を得ることができるのだから。(提供/CRI)
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2024/12/17
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