Record China 2014年10月10日(金) 8時15分
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21世紀網は「日系自動車メーカーの敗因とは」と題した記事で、過去10年間のブランド戦略がドイツと日系自動車メーカーの明暗を分けたと伝えた。資料写真。
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2014年10月4日、21世紀網は「日系自動車メーカーの敗因とは」と題した記事で、過去10年間のブランド戦略がドイツと日系自動車メーカーの明暗を分けたと伝えた。以下はその内容。
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10年前の2004年6月、上海フォルクスワーゲン(以下、上海VW)と一汽フォルクスワーゲンは、全モデルの希望小売価格を引き下げた。同年9月、広汽トヨタが設立、広汽ホンダはアコードなどのモデルが人気絶頂の時期にあった。
上海VWは深刻な危機を迎えており、賃下げや在庫の投げ売りでキャッシュ・フローを得ていた。広汽トヨタは最初のモデルとなるカムリを投入、わずか8カ月で10万台を売り上げた。「ミドルクラスを制する者は天下を制する」と言われた時代で、日系メーカーは黄金時代を迎えた。
2007〜2008年にはアコードとカムリがミドルクラス市場を席巻していたが、日系メーカーはそれ以降の中国市場での長期的なブランド宣伝を行っていなかった。不振にあえいだ上海VWはその後5年間の需要の変化を正確に判断し、冷静に市場を観察。「100万キロを修理なしで走る」といった分かりやすいドキュメンタリーを放映するなどして、ブランドイメージを高めた。
2008年、上海VWはラヴィーダを投入、これが中国市場での分水嶺となるモデルとなった。ドイツは中国の自動車市場の成長と、地方都市での需要の拡大を見極めることができた。
改革開放の初期、日系メーカーは中国で絶大なブランドイメージを誇っていた。だが、中国企業との合弁にあたって、広汽ホンダ、広汽トヨタは幸運すぎた。値上げをしても売り上げはトップという時代、誰も長期的なブランド戦略を考えなかった。ホンダ、トヨタは中国市場で蓄積してきたブランドイメージを食いつぶしながら、それをメンテナンスしてこなかったのである。(翻訳・編集/岡本悠馬)
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