<コラム>中国共産党が「薄熙来の影響」警戒か、重慶市トップが「徹底排除」を要求

如月隼人    2017年3月24日(金) 14時30分

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重慶日報によると、中国共産党重慶市委員会の孫政才書記は21日に行われた会議で、「薄熙来、王立軍の思想の遺毒」を徹底的に排除することを求めた。写真は中国共産党の宣伝の旗。

重慶日報によると、中国共産党重慶市委員会の孫政才書記は21日に行われた会議で、「薄熙来、王立軍の思想の遺毒」を徹底的に排除することを求めた。

会議は共産党中央が各地や組織に派遣する中央巡視チームの報告についての反省を行うことが目的で、21日全日をかけて実施された。孫書記は会議を総括する発言として、思想と行動において習近平総書記を核心とする共産党中央としっかりとした一致を保ち、『薄、王の思想の遺毒を徹底的に排除する』ことを求めた。

「薄、王」とは共産党大連市委員会の薄熙来元書記と、薄元書記の下で腐敗や犯罪集団と官僚の癒着を摘発した同市公安局の王立軍元局長を指す。

薄元書記は1949年生まれ。大連市長時代に実施した環境整備などが全国的に注目されるなど、若手政治家の中ではとりわけ目立つ存在だった。遼寧省長、国務院商務部部長(商務相)などを歴任し、中国の次期指導者になる可能性もあるとされた。

しかし2007年の共産党大会で、習氏が次期総書記と同国家主席になることが決まったのに対し、薄元書記は重慶市に異動させられた。共産党上層部の一部で、野心をむき出しにする薄元書記に強い反発があったからとされる。

「トップへの夢」を諦めきれなかった薄元書記は、遼寧省から王局長を招き、派手な腐敗・癒着摘発キャンペーンを実施した。重慶市がそれまで抱えていた問題に大胆に取り組んだことは事実だが、あまりにも強引で人権を無視し、無実の実業家の多くが弾圧されたとの指摘が出た。薄元書記は一方で、住宅建設など貧困層対策も積極的に進めた。腐敗撲滅キャンペーンで没収した資産を費用に充てたとされる。

さらに一般庶民をも動員して「革命歌を歌う運動」を展開。実際には文革時代を賛美することで、貧富の格差や腐敗問題が蔓延させたとして胡錦濤温家宝政権への批判を高め、習近平国家副主席(当時)の失脚を狙う「作戦」だったとされる。

しかし、中国では文化大革命の苦い経験から、大衆を動員した権力闘争は「タブー」とされていた。当時の胡錦濤主席や温家宝首相は強い不快感を持った。すると2012年2月、王元局長が四川省成都市の米国領事館に駆け込み亡命を求める事件が発生した。きっかけは11年11月に発生した薄元書記の妻が仕組んだとされる英国人実業家殺害事件で、同事件を巡り王元局長は薄元書記に猛烈に責められ、失脚させられた。王元局長は薄元書記の「暗黒面」をよく知るだけに、身の危険を感じて米国領事館に駆けこんだとされる。

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