<コラム>33年ぶりの再会(前編):私だけ中国の母校から返事がなく真っ青に

小林 晶子    2017年4月11日(火) 13時40分

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2016年10月初旬、中国政府が日本の留学経験者に対し中国へ招待する企画を行っているという情報を得た。筆者提供。

話を元に戻す。今回の留学経験者招待プログラムには、かつての母校訪問という項目があった。交通大学は10年程前、校門の前を通ったことがある。しかし、その時見た様子は、留学当時と全く変わっていた。なにしろ33年の歳月が経っているのだ。校舎も変わり、私の知った人など1人も居るはずがない。そんな所へ訪問しても一体どんな意味があるのだろう。私は疑問と不安を感じたが、再度、中国へ行ってみたい思いにかられ、一応、応募してみた。すると、思いがけず団員の一員として受け入れてもらえることになった。

2016年10月30日、訪中団は羽田空港を出発。最初の訪問地は北京だ。この地で外交部(外務省に相当)、北京大学、教育部(文部省に相当)、日本大使館、華為公司の公式訪問などの行事があった。普段は行けない場所ばかりなのでとても興奮した。北京留学組は、北京最終日の午後は母校訪問に割り当てられていたが、私たち上海留学組はその間は自由時間。私は、以前1度行ったものの、時間がなくて十分回れなかった頤和園に行き、大いに自由時間をエンジョイした。その翌日の午前は、北京から上海への移動時間。午後は、復旦大学留学組と北京その他の地方大学留学組は復旦大学訪問。上海留学組は各自、母校訪問というスケジュールである。今回の訪中団引率役の孔子学院の傅さんが言うには「今回の参加者の留学先すべてにファクスを入れて母校訪問の件を伝えると、全大学から返事がありました。でも、小林さんの交通大学からだけは、返事がありませんでした」。

それを聞いた私は、真っ青になった。もし、返事があったとしても、33年前の留学生に対して相手は違和感を覚えるだろう。ましてや返事がないということは、全く歓迎してくれていないのではないか?傅さんは「事務局としてはこれ以上手の打ちようがないので、申し訳ないけれど、後は小林さん自身で母校に行ってください」と言う。けれど、事前に何の連絡もなく突然33年前の留学生が訪ねた場合、絶対に爪はじきにされるに決まっている。私は傅さんに「少なくとも留学生担当者の名前を教えてください。私はここでは携帯がないので、できましたらそちらから電話をかけてもらって、私が行くことを伝えてください」とお願いした。最終的に傅さんは交通大学の担当者(呉さん)と連絡をとってくれた。呉さんが言うには「もしかしたら小林さんの留学当時を知っている人がいるかもしれない。顧さんという名前だが…」という事だった。「顧さんって、もしかしてあの人?でも、33年前のあの人がまだ大学に居るの?まさか…」と私は思った。(後編に続く)出所:「孔子学院」日本語刊。

■著者プロフィール:小林 晶子

外国語大学で中国語を専攻。結婚後、夫の転勤で台湾へ。その地で出産を経験。その時受けたカルチャーショックが原動力となり執筆を開始。その後、中国大連へ転勤。合計7年過ごす。3年前よりガイド資格を取り、日本を訪れる中国人・香港人・台湾人・華僑のガイドとなる。

■筆者プロフィール:小林 晶子

外国語大学で中国語を専攻。結婚後、夫の転勤で台湾へ。その地で出産を経験。その時受けたカルチャーショックが原動力となり執筆を開始。その後、中国大連へ転勤。合計7年過ごす。3年前よりガイド資格を取り、日本を訪れる中国人・香港人・台湾人・華僑のガイドとなる。著書に「華ちゃんママの台湾・中国生活日記」「趙先生の気功ワールド」「中国語の宝石箱」「三国志のことがマンガで3時間でわかる本」など。

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