Record China 2017年6月11日(日) 18時10分
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「成功はコピーできる」。これは、日本で12店舗の中華居酒屋と1店の蕎麦居酒屋を経営し、年商14億円を誇る郭聯輝の言葉である。創業を夢見る在日華人たちが、この言葉に励まされ「阿里城」グループに加盟している。
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■友人には自分より多く
郭聯輝は福建省福清市の出身で、日本に来る前は省の国家幹部であったが、両親を助けるために国内での安定した生活を捨てて国を出た。
日本に来てから数年間は昼夜働きづめだった。朝は日本語学校の授業を受け、昼は小さなレストランで皿洗いの仕事、夜は物流センターで貨物を運び、朝まで仕事をして疲れた体を引きずって電車に乗り学校へ行く。彼が目を閉じて体を休められるのは、学校まで電車に乗っている時間だけだった。
ある朝、彼は同じく留学生である同僚たちと貨物を運んだ後、電車で登校しようとしたが、一人の同僚が切符を買うお金を持っておらず、改札の外に残されてしまった。同級生は彼に500円貸してほしいと頼んだが、彼もポケットには750円しかなかった。しかし彼はためらわなかった。彼は残った250円で飲み物とおにぎり1個を買い、朝食とした。
昼に皿洗いのバイトをしていたレストランはチェーン店で、規則では1食無料のまかないが付いていた。しかしこの日、レストランの店長は彼にまかないの食事を用意しておらず、ほかの従業員は食べていたが、彼だけはまかないがなかった。当時、まだ日本語がうまくなかった郭聯輝は「軒先を借りているんだから、腹が減っても我慢しよう」と自分に言い聞かせた。
仕事の後、空腹を抱えて倉庫の仕事に出た郭聯輝は、同僚に貸した500円を返してもらって夕飯を食べようと思っていたが、休憩時間になっても返してくれる気配はなかった。郭聯輝は催促もできず、空腹を我慢するしかなかった。同僚は彼になぜ何も食べないのかと聞いたが、昼ご飯をたくさん食べたからと嘘をついた。
その夜は特別長い夜になった。空腹を我慢しながら、貨物を運んで体力を消耗した郭聯輝は、水を飲み続けて食べたつもりになるしかなかった。
この経験から、湯気の立つ食事は人生の中で毎日欠かすことのできないものだととうことが彼の心に深く刻みつけられたのである。
■いつかきっとその日が来る
つらい月日の中、彼のそばにはいつも助け合う妻がいた。郭聯輝の妻は日本に来たばかりの時、台湾料理店で働いていた。コック長は彼女が落ち着いていて、勤勉であるのを知って料理も教えてくれた。
彼の妻には夢があった。彼女はよく郭聯輝に「自分の店が持てたらどんなにいいかしら」と語っていたが、郭聯輝はそのたびに「いつかきっとその日が来る」と答えていた。「いつかきっと」という言葉は、彼が妻のため、妻の夢のためがんばった月日そのものであるといえる。
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