黄 文葦 2018年6月20日(水) 19時10分
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6月2日、週末の北鎌倉は、観光客でたいへん賑わっていた。私も北鎌倉へ、目的地は円覚寺であった。写真は筆者提供。
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そして、今年のゴールデンウイークに私は帰郷し、霊峰寺を訪れた。福州長楽国際空港から車で約20分で霊峰寺に着く。霊峰寺の住職が寺を案内してくれた。たいへん立派なお寺で、多くの日本のお寺と同じように境内には緑が溢れていた。Wi-Fiとアップルのパソコンがある寺の事務所で、住職が大拙祖能への思いを語ってくれた。「大拙祖能は14年間中国に滞在していた。特に福州にいる期間が長いので、福州のことに詳しいと思う。600年前に、大拙祖能は何をしていたか、何を学んだか、日本に戻った後、どういうふうに中国と霊峰寺を語ったのか、大拙祖能の弟子たちが今どうなっているのか、いろいろ知っていきたい」とのこと。
霊峰寺の周りは石刻が多く、中には千年前のものもある。石刻の前で住職は「600年前、大拙祖能が霊峰寺にいた時、この石刻はすでに存在していた」と感慨深く語った。私は思わず石刻をなでた。600年前、大拙祖能が何回もこの石刻をなでていたかもしれない…私は大拙祖能の心を読み取っているような気がした。
故郷の新聞が現在でも大拙祖能と霊峰寺のことを取り上げている。ある記事によれば、大拙祖能は十数人の日本の僧と一緒に福州に上陸した。福州を選んだ理由は、一つ、当時の福州は仏教、特に禅の文化が盛んであったから。もう一つは、福州長楽は中国南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ唐時代の禅僧である百丈懐海の故郷であったから。大拙祖能は百丈懐海のファンであるとみられる。
6月2日、私は円覚寺の境内を「遍路みち」として歩いてみた。そこには季節の草花が並んでいた。中国と日本のお寺で、私は大拙祖能の跡をたどり、心の中で歴史の旅をした。ちなみに、日中両国のお寺の外観には少し違うところがある。日本のお寺は豊かな自然に囲まれて、歴史の息吹が漂っている。中国のお寺は新しく、目を奪うほどに華麗である。日本では、中国との歴史的な繋がりがあるお寺が多いそうだ。
幸いなことで、600年後の今でも、大拙祖能は霊峰寺の人に思念されている。日本の僧たちの足跡が故郷で大事にされている。その文化的な繋がりが健在していると確認できた。宋朝と元朝の時代、僧たちのおかげで、福州と日本の文化交流が盛んだったといわれている。これからも歴史と未来を繋げる形で文化交流が続けば良いと祈念している。現在、日本の「大拙派」はどうなっているのか、本当に興味深い。詳しい方がいらっしゃれば、ぜひご教示願いたい。
■筆者プロフィール:黄 文葦
在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。
在日中国人作家。日中の大学でマスコミを専攻し、両国のマスコミに従事。十数年間マスコミの現場を経験した後、2009年から留学生教育に携わる仕事に従事。2015年日本のある学校法人の理事に就任。現在、教育・社会・文化領域の課題を中心に、関連のコラムを執筆中。2000年の来日以降、中国語と日本語の言語で執筆すること及び両国の「真実」を相手国に伝えることを模索している。Facebookはこちら「黄文葦の日中楽話」の登録はこちらから
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