<コラム>韓国には「化け物」みたいな人がときどきいる

木口 政樹    2018年12月12日(水) 0時40分

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今回は韓国のバス王、許明会(ホ・ミョンフェ)氏のことをご紹介したい。2000年にMBCという放送局で放映した番組が最近また再放送され、それを偶然見てこれはすごいと思ったからである。写真は韓国・ソウル。

今回は韓国のバス王、許明会(ホ・ミョンフェ)氏のことをご紹介したい。2000年にMBCという放送局で放映した番組が最近また再放送され、それを偶然見てこれはすごいと思ったからである。「成功時代」というドキュメンタリー番組で扱ったテーマだった。

許明会さんは、1931年生まれで今年89歳のおじいさんだ。現在、経営は息子に譲り本人はCEO補佐といった感じでやっているという。もちろんこういう人は日本だってどこだっているかと思うけど、とにかくすごいので簡潔に要約して筆者のことばでご紹介したい。

1961年に大学4年生だった彼は「お金を稼ぐのに大学の卒業証書は必要なし」と考え、4年時に退学。京畿旅客(ギョンギ・ヨゲク)というバス路線を運営する会社に入社する。

はじめはバスの配車を担当。入社早々から午前4時出勤、午後11時半退社という日常。入社当時から「20年後にはこの会社の社長になる」という決意をもって仕事をした。すべての仕事が自分の仕事に見えた。

トイレ掃除からバスの整備・修理にいたるまで、本業であるバスの配車(どのバスをどの時間帯に配車するかなど)の仕事はもちろんのこと、その他会社内で生じる仕事は全て自分の仕事と捉え積極的に仕事した。

あるとき、バスの修理担当の技師を手伝っていると、バスの運転手から何の理由もなく「なんだこいつ、配車担当がなんでこんな夜遅くまでバスの修理などを手伝っているのか、早く帰れ」と頭を強く叩かれるということもあった。

肉体的な厳しさよりこうした精神的なもののほうがよっぽど堪えがたかったが、20年後の自分の夢を思ってなんとかがまんするのだった。こういう情熱は当然会社の上層部にも伝わることとなり、入社6カ月にして30余台を保有するスンインドン営業所の所長、4年目で部長昇進、さらに2年後の1967年にはじめてバスを所有する者となった。

バス路線を運営する会社というのは、会社の中のバスは所有者が別にいて、さらに運転手が別にいるというシステムになっていた。バスは高価だから簡単にオーナーにはなれない。許明会氏は6年目にしてゼロから出発しバスのオーナーになったわけである。

1970年にはバスを13台所有する中堅のオーナーになっていた。71年に、30余台を保有するヂョンノ(鐘路)・ウィジョンブ(議政府)間を走る路線の社長から「会社を買わないか」と提案があった。この路線は花形路線なのになんでオレなんかに売ろうとするのか、疑問に思って路線バスに乗ってみた。客は常に満員だったが、問題は途中の峠の坂道だった。ここでバスがエンコ(エンジン故障)してしまうのだった。原因は過酷な運転に加えて整備不良および修理ミスだった。

許明会氏は修理のことなど何も知らないで会社に入ったけれど、毎日修理を手伝う過程でほとんどが見えるようになっていたためそんな原因もすぐにわかったのだった。「整備さえきちんとやり、過酷な運転さえしなければなんとかやれそうだ」そう判断した彼はこの会社を買い取ることを決める。

その後すぐバス料金が35ウォンから40ウォンへ値上がりするなど、許明会氏にとっては追い風となってくれた。78年、京畿旅客の株主総会が招集された。召集したのは許明会氏。株主が集まっているところへ許明会氏が最後に登場し、「わたくしがこの会社の株の55%を所有しています。明日からわたくしが会社の社長になります」と宣言した。

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