如月隼人 2019年2月5日(火) 16時0分
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日本でも「春節」という言葉が、かなり知られるようになりました。記事では「春節(旧正月)」のように説明を添えることが多いのですが、「春節」だけで理解する人も増えたのではないでしょうか。写真は春節の飾り。
日本でも「春節」という言葉が、かなり知られるようになりました。記事では「春節(旧正月)」のように説明を添えることが多いのですが、「春節」だけで理解する人も増えたのではないでしょうか。
▼「春節」と「元旦」を使い分ける中国語に矛盾はないのか
何年か前ですが、ふと疑問に思ったことがありました。現在の中国では新暦の1月1日を元旦と呼びます。文字は日本と同じで読み方は「ユエンダン」。そして旧正月は春節(チュンヂエ)。あれ、ちょっと妙ではないか。
「元旦」の「旦」は、夜明けをあらわす。太陽が地平線上にのぼった様子をあらわす漢字ですね。だから「元旦」とは新年の朝で、意味を拡大して1月1日全体を指すようになったわけです。欧州起源の新暦を使うまでは、日本人も中国人も旧暦を使っていた。中国の場合、その旧暦の1月1日を元旦と呼んでいたはずだ。では春節は?
ということで調べてみたら、時代によって違いがあったそうですが、旧暦の年の最初の日をあらわす言い方は「上日」「改歳」「元首」「元日」などずいぶんたくさんあったらしいのです。清朝になってからはほぼ、「元旦」と「元日」の2種類になったと言います。「春節」という言葉はまだなかったわけです。
▼初期の中華民国は過激な政策を採用した
さて、中国はいつから新暦を使うようになったか。実は、中華民国の成立と同時です。元号を使うとややこしくなるので西暦に統一しますが、旧暦で1911年11月13日だった日に同日付の中華民国の成立を宣言した。というか、この日は新暦の1912年1月1日だった。つまり西暦の新年に合わせて中華民国を発足させ、同時に旧暦を撤廃してしまったわけです。
日本も明治時代に旧暦から新暦の切り替えをしました。しかし、実施したのは明治5年になってから。旧暦の11月9日に「旧暦12月3日をもって明治6年1月1日とする」との詔書を出して実行しました。それまでのカレンダーを約1カ月後に撤廃と宣言したのですからずいぶん乱暴とも言えますが、中華民国の場合、もっと乱暴だった。国の発足と同時に旧暦を撤廃したわけですから。
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