<コラム>日本の精神と日本的儒学

海野恵一    2020年8月12日(水) 23時0分

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「日本の精神と日本的儒学」というテーマで幾度か出稿してきましたが、今回が最後になってしまいましたので、今まで書き溜めていた原稿をアップして終了したいと思います。

孝行と信頼

礼の最も重要な項目に孝行があります。教育がされないままの自然のままの人間であれば、我々は存続できません。そこには人間としての文明が必要です。人間が交流するための社会における基本的な信頼関係がなければなりません。その最も信頼関係が維持されなければならないものが孝行なのです。この孝行を行うことによって、人倫規範の基本が出来上がり、社会の秩序が守られるようになります。

国家が存続するためには3つの要件が必要だと孔子が言いました。その3つは軍隊、食料と信頼です。前の2つはなくなってもいいのですが、信頼だけはなくなってはなりません。社会には相互の信頼があり、礼節がなければならないのです。もちろん、そこには心の内部にある徳とその発露である礼がなければならないのです。礼は社会性を維持するために最低限の要件です。この礼がなければ信頼する関係を維持できません。そうなると、どんな法律を作ったとしても意味を成さないのです。

ですから、家族や地域の人間関係がまずくなる最大の原因の一つが、この「礼儀の基本」ができていないためです。こうしたことがわかっていても、なかなか身につきません。特に、問題が起きた時に、心の平静を維持し、礼を失しない対応が大事です。実は会社の中でもこうしたことが実に多いはずです。ましてや家族の中ではもっとなおざりになってしまっているのではないでしょうか。人間の悩みの大半がこうした対人関係が原因なのです。

礼儀作法の伝統を維持することによって威厳がでてきます。

子貢が、毎月一日に行う告朔(こくさく)の祭りに用いる羊の犠牲(いけにえ)を止めた方がいいのではないかと論じました。孔子は、「賜(し)や、お前は一頭の羊が惜しいようだが、私は羊よりも、昔から続いた伝統文化が廃れることを惜しむのだ」と云いました。この言葉は現代人には理解し難いと思います。しかし、こうした礼儀作法の伝統が威厳を生み、矜持を育むのです。

「智」は物事を判断できる知見を養います。

「智」は物事に対する判断能力を研鑽するためです。「智」は単なる知識ではなくて、物事を判断できる知見を養います。この知見を養うことができれば物事の判断に迷うことは無くなります。「智」は知識だけではなく、ものの考え方です。物事の考え方がわかれば判断するときに惑うことはないのです。ボクシングのボディブローのようなものです。日々の情報だけでは相手にパンチを繰り出すことしかできません。決定的なダメージを与えるためにはボディブローのような「智」の蓄積が必要となるのです。

「信」は徹底した信頼関係

「信」は信頼であり、どんなことがあっても信じ抜くことです。孔子は「民、信なければ立たず」(人間は信がなければ生きていくことができない)と言っています。この信は現代の日本人が考えている「信用」よりも、はるかに徹底した信頼関係のことを言っているのです。相手が殺人をしようが、窃盗をしようが、お互いの信頼関係は変わらないのが、ここでいう「信」です。

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